2012年4月17日火曜日

雲峰のマラソンの歌 感動の手記 「大森敏夫の海外走り旅」 2011-p-10



JMTとは?なぜそこを歩いたのか?

JMTとはアメリカの長距離遊歩道の一つである。北のヨセミテ国立公園から南のMt.Whitneyまでの約340キロの区間で、全長が繋がったのは1938年である。John Muir Trail通称JMTPacific Crest Trailと部分的に重なっている所もあるが、特に美しいと言われる北のYosemiteから南のMt.Whitney(アメリカ本土の最高峰、4421m)の山道に付けられた名前である。名前の由来は19世紀から20世紀の初頭に掛けSierra Nevadaに関する多くの著述をし、また自然保護区の設定を説いたJohn Muirの威徳を偲ぶものである。山道は北からYosemite国立公園、Ansel Adams自然保護区、Devil's Postpile 国有記念物、John Muir 自然保護区、Kings Canyon国立公園、Sequoia 国立公園と繋がって居り、保護管理されている。

島国の小国日本から見ると、アメリカは途轍も無く大きい。連続する山道で長いのはロッキー山脈を南北に貫くContinental Divide Trail(大陸分水嶺山道)で、此れは5000キロに及ぶ。更にその西側にはSierra NevadaCascade 山脈を通るPacific Crest Trail4250キロ)や東部にはAppalachian National Scenic Trail3510キロ)等がある。これらの山道を春から秋に掛けて一気に踏破しようとする人は多く居るが、中々達成は難しい。

今夏僕が行ったのはJohn Muir Trail(340キロ、Mt.Whitneyからの下りPortalまでを含めると355キロ余り)であり、これはSierra Nevada山脈(640キロ)の約半分に過ぎない。

何故ここに行くことにしたのか? 2009年の暮れパタゴニアの走り歩きの旅をし、彼の地の花崗岩の山、特に橙色をした針状の山、Mt.Fitz Roy,に痛く感動を覚えた。昨年3月初め訪米の際、Patago―   niaに一緒に行ったGlennTanyaDinky 夫婦は、アメリカにはそれらを凌ぐ美しい山が有ると言うのだ。彼等は此れを見る為に、夏休みを利用して、十分な装備、食料も持たず、全行程を8日で踏破したという。PatagoniaAndesAdventure Tourを主催しているDevyは今年2月に会った時、同じ道を5日半で踏破したと話していた。彼等は優れたランナーである。

Patagoniaの山を凌ぐ花崗岩の山は観てみたい。美しい自然に対する強烈な憧れと好奇心である。又、350キロ以上の山行を完全野宿で踏破することは体力的にも試して置きたい。歳が歳だけに来年では遅すぎる。是非2011年の夏に実施しなければならない。この話を原さんにすると、彼も是非行きたいと言っていたが、昨年の暮れ再度確認すると、体調が良くないので、同行は無理との話であった。その後知り合いに声を掛けると、元々は山屋のランナー薄葉さんが行きたいと言って来た。僕が連続10回目の完走を目指していたが90キロで諦めた1999年の鶴岡を完走した男で、その後僕の生前葬のレースにも来ているので、御存知の方も居られよう。心強い仲間が出来、計画を具体化させることにした。

山行準備

入山するには許可証が要る。これは24週間前から受け付けており、8月初旬の3日間の日付を入れ、ファクスで当局に申請したが、許可は得られなかった。許可には事前許可と、入山前日申請許可の2つがあるので、麓の事務所で前日の許可をもらう他無い。

Glennに勧められた本や地図を頼りに計画を練る。Spain語でSierraは山、Nevadaは雪を意味する。その発生は1億年前に遡り、主として花崗岩で出来ている。400万年前に地殻変動で隆起し、その後氷河の侵食により現在の姿になったという。この山系には3つの国立公園があるが、JMTを歩くとそれら全部を観ることが出来るのだ。

旅とは何だろうか? 業務上の旅、観光や物見遊山の旅、宗教上の巡礼の旅、目的のない流離の旅、新婚旅行なども旅であろう。これ等の殆どが、先人の作った出来上がった道に沿っての移動である。多くの場合幾つかの交通機関が利用出来、飲食や宿泊も随意出来る所での移動である。移動手段によって、旅を分けることも可能であろう。鉄道、船、自転車、ローラースケート等などの旅である。

これ等に比べ、山行は長距離、長日程であっても旅の範疇からはみ出しているような気がする。多くの場合、これも先人の用意した道を辿るが、交通機関は利用出来ず、宿泊や食事などを供する所は殆どない所での移動である。人里からは遠く離れ、緊急の場合であっても連絡も取れず、救出援助も儘成らない場所での移動だ。今回も一旦山に入ると、外への交信は一切不可能となる。携帯などは使えないのだ。カメラの電源の充電も殆ど出来ない。充電が出来る所もあるが、何時間か其処に留まる必要があり、又充電装置そのものも馬鹿に成らない重さと嵩があるので、市販の乾電池を必要数持って行くのが得策であろう。

更にもう一つの移動がる。道無き道を行く移動だ。これは冒険と言うべきで、又別な範疇であろう。誰も行った事のない偏狭の地で新たな道を探しながら目的地に向かう移動だ。これら全てに共通している点は行きっぱなしでは無く、必ず平常の生活地に戻ることであろう。何か新しい物を求めて異地に行くが、其処は人間生活に取って快適でない事が多く、長くは人が住めない環境なのだ。

僕は気が向いた所があれば、殆ど何も準備せずにふらりと出かけることが多い。先ず現地に行って、その後その場所の事を調べるのだ。此れは余り良い方法ではない事は分かっているが、如何しても何時もそうなってしまうのだ。事前に色々調べておいた方が、効率よく見て歩け、得る物も多いとは思うが、何時もそうなってしまう。牛に似た所があるのかもしれない。先ず取り敢えず、食ってしまう。その後じっくり噛み返し、租借する。根がセッカチなのだ。

ただ今回は流石に行けば何とか成るとは思えない。人の住まない所には1週間以上居たことは無い。15−20キロの荷物を背負っての旅は精精23日しかしたことが無い。3週間連続の野宿の旅も初めてだ。自然の怖さは十分に分かっている。事前に多くの事を調べ、必要な準備をしなければ成らない。

大きな地震が起こり、身動きが取れなくなった期間中に地図や先人の書いた案内書を読んで調べる。どの道にもその道の先人が居る。JMTを毎年の様に歩いている日本人も居り、これらの先人から情報を頂く。又    Trail上又はその傍にある施設の管理者とも接触し、Trailの状況も確認した。

起伏の多い山中は、高度が上がるに連れ、色々厄介な現象が起こる場所でもある。水は途中で何とか確保出来たとしても、食料、寝具、衣類全てを背負っての移動となる。道とは言っても集落や町の道とは大きく異なり、川には橋の架かっていない所も多い。こんな所に行くには下調べだけでは十分ではない。それらの文献はあくまでも、本の刊行の直前の状態の記述で、鵜呑みにするわけには行かない。山の地形は雪崩や、崖崩れ等により大きく変わる。ある時まであった、橋が流されている場合もあろう。山に入ったら、事前の準備はさて置いて、現実の状況に何とか対応し、先に進まなければ成らない。

人間の体力には限度があり、余り重い物を背負っては遠くまで移動することは出来ない。食べ物が無くなれば、他の動物とは異なり、動きが取れなくなる。我々には食料を現地調達しながら、移動する能力は残念ながら無い。車と同じでエネルギーがなければ、移動は不可能だ。どの位の食料を持っていれば、何処まで行けるか。その地点での補給は可能か?不可能であれば如何するか?

食料に関してはもう一つ考慮する点がある。熊対策である。カリフォルニアの州旗の真ん中は大きな熊であることは、何処かで述べてきた。ある調査によると雑食の黒熊は80年代から2007年には倍増し、25000−30000頭に増え、その多くはSierra Nevadaに生息すると言う。熊は人間を襲うことは滅多に無いらしい。只、人間の食べる物は気に入って居るらしく、食べ物は結構狙われるようだ。

この為に山に入る人は熊缶と呼ばれている、特殊な食料入れを持つことが義務付けられている。強化樹脂で出来た筒型の容器で、蓋は特殊なストッパーが付いており、熊は此れを開けることが出来ず、勿論容器を破壊することも出来ない。検査機関の認定を得た数種類の缶が市販されている。2月訪米の際に見てきたが、内容は10リッター強であり、風袋は1キロ強、値段は80−200ドルである。高い物は風袋が約半分であった。0.5キロの違いが大きな差を生む世界なのだ。

此の中にどれだけの食料を詰め込めるか、此れによって、行き着ける距離は予測できる。行く前には実際10Lの容器にどれだけの食料が入るのかも調べなければ成らない。又、予定の距離をこなせない場合も想定する必要がある。食べ物は消化したが、距離が稼げていない場合だ。

日頃余り考えた事も考えなければ成らない。カロリーの問題である。携行食品は前述の体力と容器の制約から、軽量、小容量、高カロリーでなければ成らない。これ等の条件は生食では満たすことは出来ない。乾燥物であってもその平均発熱量は100g当たり400Cal以下が圧倒的に多い。此れより更に高カロリーの物を探すと、ナッツ類がある。ポテトチップ、カリントウ、ミルクチョコレート等がある。油はカロリーは高いが携行には難がある。やや落ちるがマヨネーズは良いような気がする。これらは例外なく高油脂含有食品であり、通常主食の範疇には入らない。ポテトチップは重量比発熱量は高いが嵩が大きい。もって行くとすれば、粉末状にするしかない。粉末にしたらドンナ味に成るのか? こ� ��等も出発の前に全部当たって置く必要がある。

主食や主菜に成るような携行食品もあるが、上記3つの条件を満たす物は少ない。多くは冷凍乾燥品で嵩が大きい。探検と冒険の国Norwayには良い携行食品が有ると聞いていた。昨年  Spitsbergenに行った時に見たがこれは冷凍乾燥真空パックした物で、嵩の面でも良いような気がするので、山行前に2度北欧に行った際、買って来た。

山行中の1日の必要カロリーは少なくとも2500カロリーは必要だ。この為には、嵩、重量に対して、カロリーの多いものでなくては成らない。摂取カロリーが消費カロリーを下回る場合、予備燃料の体脂肪を使う事になる。2キロ程度の減量は許容の範囲内だ。

10Lの容器にどれ程の食料が入るのであろうか? 乾燥物であるので重量のわりには嵩は大きい。100グラム当たり平均500カロリーの食品を選ぶことが可能であれば、日に500グラムの食料が必要で、密度を0.5とするとその容量は1Lとなり、10Lの熊缶には10日分の食料が入ることになり、中間地点まで行けることになる。其処から先は熊箱と呼ばれる熊が取ること出来ない食料保管箱が彼方此方のキャンプ場に設置されており、缶に入り切れない食べ物はここに入れて置けば安心して寝ることが出来る。幾分大目の食料を補給し、23日はこのような所を捜して泊まる必要もあろう。何しろ、熊に食料を取られれば、その時点で山行は出来なくなり、横道を辿り、人里に出なければならない事態となるのだ。

我が家にある全ての計量機器を総動員し、その他に牛乳パックを使って実験をして見る。ナッツ類、チョコレート、袋入りのインスタント物を除き、踏み潰したり、ミキサーに掛けて減容を図る。ある程度まで細かく砕くと、嵩は減るが、それ以上細かくしても減らず、逆に増え出すことも分かった。又ポテトチップ、カリントウ等はミキサーに掛けると油が分離してしまう。それに食味、食感の問題も考慮し、結局ラーメン、ポテトチップ、カリントウは踏み潰しただけか、更に擂鉢に押し付けて適当な粒状になる様にした。

候補に上げた食料は勿論日常食では無く、カロリー、重量、嵩の条件を満たしても、山行中毎日食ってちゃんと出て行くことを確認しておく必要がある。持って行っても2日目から喰えなく成ったり、糞詰まりや下痢を起したら山行の継続は不可能になる。そこで、野菜、果物、肉、魚類は家内が作った物、主食としては前に挙げたものを1週間ほど喰ってみた。実際の山中食とは程遠い物であるが、実験は有効であったと思う。

ナッツ類は胡桃、アーモンド、ペーカンナッツ、ピーナッツ、ヒマワリ、ゴマの等量混合物(粒の大小を混ぜる事により空隙を少なく出来る)、ポテトチップ、カリン糖、インスタントラーメンは減容の為砕いた物を食べたが、何とか喰えるし、出るほうも支障がないことが確認できた。この他に必要なのは、ビタミン剤、電解質、若干の塩である。熊缶の嵩にゆとりがあれば、動物性蛋白を含むインスタント食品、高カロリースナック、サラミソーセージ、乾し肉、チーズ等も持って行きたい。嗜好品であるコーヒーやお茶は最初から諦める。

ポテトチップ、ラーメン等は米粒程に砕いて重量と嵩を測って見ると、何とか上記の組み合わせでカロリーの確保は出来そうなことが分かった。家内は何も言わなかったが、正気の沙汰ではないと思って居たに違いない。僕は戦前生まれで、食べ物は大抵のものであれば、あれこれ言わずに喰える恵まれた人間の一人である。ある目的の為には日常の快適性はいとも簡単に捨てさる事が出来る。一ヶ月以内であれば、この程度の偏食をしても、健康に実害はないと考えている。減容と現地でゴミを出さない為に、個装した食品の殆どは取り除き、種類ごとにやや大き目の袋に入れ熊缶の中で馴染みが良く空間を少なくするようにした。ラーメンのスープ等も例外とはしなかった。

何かをしようと思えば食は斯くも重大な関心ごとなのだ。僕にはカロリー零の食品の存在理由が全く理解出来ず、罰が当たった話しであると思える。食は生きる為に食うのであり、享楽のための物では無い。人間を除き痩せる為に食ったり呑んだりする動物は居ない様に思う。如何に人間が知に溺れ、狂った存在かを知るべきでは無いか?

山行中、途中で補給が可能な地点が何箇所かあるが、中々丁度しない。行程の五日位までは寄り道をすれば、調達可能な所はある。出発時に持って出た食べ物の減り方を見て、補給することも考える。当然寄り道は短い方が良い。後に行く程、補給可能地点は減り、寄り道の距離も大きくなる。幸いな事に丁度中ほどにMuir Trail Ranchと言う観光施設があり、其処で食料の中継をしてくれることが分かった。郵便局を通してそこ宛てに送ると、麓の局からそこまで運んで来て、依頼主が到着するまで預かって呉れる。当然有料で、11キロまでが60ドル、其れより重い物は割り増し料金となる。背に腹は代えられないので、ここを補給所とすることに決める。物はアメリカ到着後、現地調達食料も含め、登り出す麓の局から送ることにする。僕の体力を考え、途中一切寄り道をせず、兎に角JMTの踏破を第一目標とし、補給はこの中間点の一ヶ所と決める。

大きなグループのユトリのある山行であれば、あちこちでDonnage Packと呼ばれる馬を使った補給が可能だ。此れは75キロまで、馬方1人馬1頭で1日3百jほどだと聞く。

食料に関しては各々の好みがあるので、各自で用意することに決め、其の為薄葉さんは上京してアルファー化米を中心に独自のメニューを用意した。

僕にとっては此れだけ長期の山行は生まれて初めてである。色々な情報を参考に行程表を二つ作った。便や途中の交通手段の制約を加味し17−18日で踏破完了の案とした。どちらも2〜3日のゆとりを持った案である。天候や怪我、雪や川の増水で、遅れがでることも有りうる。非力な僕の体力では何が起こるかわからない。余裕は必要なのだ。

 自分で書いたシナリオを演じ切れる自信は無いのだ。役者の様に本番の前に練習は出来ない。いきなり本番なのだ。でも、何かの指針が無ければ、目的を完遂は出来ない。

薄葉さんも彼なりに研究したが、考えて居てもしょうがなく、兎に角遣ってみようという。一応の行程を目安に後は現場調整と言う事で話が落ち着く。

専門家である彼には装備の検討を御願いした。テント、加熱器等は皆彼の物を使う事にし、又僕のザックも彼の物を使う事にした。全体の軽量化の為、僕はカメラを持たず、写真は全て彼に御願いした。彼のカメラは使い捨ての電池式、で充電式と比べ、全体的に軽くなるのだ。

アメリカへ

8月2日薄葉さんとNaritaのホテルに泊まる。夏場は航空運賃の高い時期であり、安い物を探すと    Asiana航空の仁川廻りであり、成田発は早いので空港泊まりが必要であった。

3日、Asiana航空は初めてであったが、仁川まではBusiness Classに載せて呉れた。  AsianaのLoungeは良いが機内サーヴィスはやや劣る。San Franciscoに昼頃着き、市内のYouth Hostelに荷物を置き、買い物に出かける。熊缶を探したが目当ての品が無かったので、登り口のYosemiteで買うことにし、僅かな時間ではあったが、市の中心部を見て回った。

翌日4日、BARTでRichmondまで行きAMTAKに乗り換える。途中までは順調に行ったが、   Stocktonの先で山火事に会い、長い間列車が止まる。駅で止まったが、線路の脇にはBlack―   berryが沢山成って居り、まだやや早いが、熟れた物もあり、乗客や通りかかった人が摘んでいた。このBerryは至るは所に沢山出来る。遅れに対して、水とスナックが供された。

長い間待った後、列車が動き出す。暫く行くと、線路の両側が黒くなっており、燃え燻ぶって居る所もある。風は追い風で、火は線路に沿い進行方向に燃え広がって行ったのだ。まだ消火活動が続けられている所もある。乾いた農作物や、線路際の枯れ草が焼けており、家屋、車なども焼けていた。何キロも燃え広がっていたが、人家への被害が少なかったのは何よりだ。

目的地のMercedの駅には4.5時間遅れて着いた。乗り継ぎのバスには間に合わないので、ホテルを用意すると言われたが、行程上ゆとりが無いので、自前でタクシーでYosemiteまで行く事にし、タクシーを頼んで貰う。入山前の大きなハップニングだ。

260ドル程余分に掛かったが、この選択は賢明であったと思える。タクシーの運転士は子連れで5歳の男の子が助手席に乗っていた。目的地に着いたのは日も変わる時間である。父子家庭なのであろうか?余計な詮索はしなかった。

Yosemite Villageに着き明かりの点いている店の前で止まると、直ぐに警察の車が来た。この時間Camp地も宿も無い、お前ら如何するのだと言う。こちらの事情の話すと、車に乗れと言う。乗って程なく、車は止まり、彼氏曰く"此処が許可書を出す事務所だ。お前ら並んで待って居る内に寝てしまった事にしろ。"中々話しの分かる年配の警官であった。アメリカでは許可された所以外での野宿は禁止で、逮捕される場合がある。

この処置のお陰で、我々は先頭に並び、翌日4人にしか出ない入山許可書を手にする事が出来たのだ。災い転じて福とはこのことなりや?

事務所入り口横のベランダにマットを敷き寝袋に納まる。直ぐにもう一人男が来た。其の男は椅子に腰掛けて待っていた。明るくなる頃には10人余りの列が出来ていた。

起きて周りを歩いてみる。許可書を出すYosemite Wilderness Officeは木造平屋建てで大きなものではない。廻りは針葉樹や落葉樹の巨木が取り囲んでおり、リスが走り回っている。天気は快晴、朝の空気は旨い。巨木の間からは陽を受けて白色にみえる花崗岩の急峻な岩肌が見える。又遠くには高い所から落ちる白い流れも見える。ヨセミテ滝である。此れだけを見ても来た甲斐があったと思うほどだ。日本にはない大きな景色なのだ。

8時半に森林官が来て、今日の許可証は4人分と発表があった。やれやれである。その後、建物の前で、入山前の注意事項、キャンプ地、焚き火、排泄物の処理法、洗濯の仕方、熊の習性等の説明があった。 628

実際に許可書が出たのは11時ごろであった。其の後、燃料や熊缶、釣りの許可書を買に行く。そこそこの規模の店であったが、使えそうな熊缶は一つしかない。しかも、サンフランシスコで敬遠して買わなかったタイプの物だ。2つ必要だと言うとCurry Villageにある店に行ったらという。バスに乗ってその店に行ったら、あるにはあったがこれも同じ気に入らないタイプの物であった。


"マーブルフォールズ、テキサス州とディズニーワールド"

気に入らない理由は幾つかある。設計が悪いのだ。利用者の便を考えた設計に成っていない。最大の欠点は出し入れ口の径が小さく、出し入れに手間が掛かる。完全な円筒形ではなく、筒の中ほどが太くなっていて、ザックへの出し入れ及びザック内の収まりが良くない。3つ目の欠陥は樹脂が真っ黒で中が全く見えないことだ。透明樹脂であれば内容物が見え、取り出す際に必要なものが取り出しやすい。更にもう一つの欠陥は容器の外側は滑々しており、内容物が重い場合はザックへの出し入れが難しい。表面に若干の凹凸を付け、取扱いし易くすべきだ。これ程欠陥だらけの商品でも買わざるを得ない場合もあり、人生儘ならない物だ。

傍の郵便局から用意した食料を送った。荷姿や送り方は受け取り側から指示があり、それに従った。25リットル強の蓋付きバケツで送れとある。バケツは金物屋で買えるが、レストランでは只の物がある筈とも言って来ている。サンフランシスコで2−3のレストランを当たって見たが、無いと言われた。此処に来て訊いて見るとあった。無料である。これらのバケツはアメリカでは食材業者とレストランの間で極普通に使われている事も分かった。蓋にはパッキンが付いており、食料が雨滴や外気に曝されない構造と成っており、理に適っている。

送達は特別便とし、後で物の追跡が出来るようにした。料金25ドル。その後は公園内の無料バスで観光をし、明早朝に予定している入山口も確かめる。此処は国立公園の入り口であり、可也の人が訪れている。多くの人を収容出来るロッジやキャンプ場が在るようだ。 

 事務所の前にバネ式の秤があり、ザックの重量が測れる。推奨されている重量は体重の4分の1である。僕の荷物は16キロを超えており、この推奨値を上回るが致し方無い。其の上、最大2キロ水の重さが加わる。この内徐々に減るのは食料と僅かではあるがガス燃料である。全行程を通して略15キロの負荷を覚悟する。

薄葉さんは更に共同装備にテント、バーナー等で5キロ程多い。彼の体力からすると、この程度のハンディでは不足かもしれないが、歩いてみて、負荷の調整をする必要があるかも知れない。どちらがへたっても、踏破は不可能である。お互いに庇い合って目的を達成したいものだ。

 午後早く指定されているCamp地を探す。大きなCamp地で熊箱もある。熊箱はこの先も彼方此方で見た。開閉方法が異なる物もあるが、熊には開けられないもので、全て鉄板製のものであった。大きさは1メートル四方又はやや長方形で、中の高さは其の半分程であった。

規定に従い一人5ドルを入れた封筒を料金箱に入れ、テントに許可の印を付ける。食料は熊箱に、その他の荷物はテント内に置き、村の探索に出る。村内や近くの村を結ぶ無料循環バスがあり、それに乗り1巡してみる。木の間越しにヨセミテ滝や雄大な山が見える。空は抜けるように青い。村内には色々のハイキングコースがあり、それらの入り口までバスを利用する客は多い。明朝の登り口も確かめておく。625

テントに戻るとMinessotaから来たと言う3人のインド人留学生が隣にテントを張っていた。彼等は老人が350キロも先まで歩く事に興味を持ち、色々と話をして来た。焚き火をし、夕食を取る。食べ物はカロリーの割には嵩の大きい物から食べる。早急に熊缶に何とか全部納まるようにしなければ成らない。

野宿は昨夜から始まっているが、テントに泊まる本格的な野宿は今夜始めてする。昨夜は十分寝ておらず、明日も早いので早めに寝る。夜中に用便に起き、大きな針葉樹越しに空を見上げる。隙間から見える星は大きく綺麗だった。

入山

8月6日:救助訓練の為6時には入り口が封鎖になると昨日Rangerが言っていたので、4時半頃出発する。ヘッドランプを頼りに歩くが、遊歩道ではなく、よりハッキリしているバス道路を進む。愈々此れからが正念場だ。Merced川沿いには広大なCamp地があり、此処は車で来る人達専用だ。橋を渡らず、川に平行に登って行く。Trailの始まりは其処から更に登った所で、キャンプからは3キロほどになろうか。

薄暗い中、渓流の音を聞きながら登って行く。前にも歩いている人が居る。暫く行くと熊だと言って立ち止って居る人が居る。100メートルほど下には川が流れており、熊は川から我々の歩いている山道に向かって登って来ていた。30メートル程下をユックリ歩いて来る。熊は人の気配があると、遠ざかると言うが、此処の熊はそうではない。人には慣れているのだろうか、悠然としている。肉食では無いので人を襲うことは無いが、人の食い物は大好物だという。未だ薄暗いが、灰色がかった薄茶色の熊で、大きさは40−50キロ程度であろう。ずーと見ていた人も居たが、我々は足早に通り過ぎる。

更に登って行くと、やや下って川に掛かる橋を渡る。左手に小さな小屋とトイレがある。標識が出ており、行く先と距離が書いてある。此処が登り口らしいが、誰も居ない。近くのせせらぎの音、遠くからは滝の音が聞える。登り口の名前はHappy Isles(幸福島、1230m)である。こんな山の中で島の地名は異に感じるが、どうやら、Merced川の中州で複数あるようだ。

道はダートから古いアスファルトの道に成る。Trail開設の初期に作った物らしく、割れや凸凹が多く歩き難い。自然界に人工物を持ち込む過ちを犯した事を悟り、その後は一切手を加えていないようだ。勾配は其れ程急では無いが九十九折れが続く。乾いた砂や石の道を登っていく。20分ほど登ると、やや下りとなる。木橋をわたると、前方に滝が見える。Vernal滝だ。最後の水道があり、給水する。これから先は谷川の水しか得られない。

陽も上りだし、周りの峰が美しく浮かび上がる。灰色をした花崗岩の山々である。歩いている沢合いの道は大きな米松、ブナや楓類の木の中にあり、此処まで陽が届くのは未だ時間が掛かりそうだ。前後には沢山の人が歩いている。国立公園の入り口で、車や公共の輸送手段もあるので、此処までは誰でも来られる所だ。 

Merced渓谷の南壁のややきつい九十九折れを登っていく。九十九折れの良いところは、進行方向は元より、首を曲げ振り返らずとも、通り過ぎてきた景色を見ることが出来ることだ。白い渓流や滝が見え気分がよくなる。この辺りの山は白に近い灰色の花崗岩で出来ており、釣鐘型(Dome状)をしている。頂部は丸く平らで傾斜が少ないが、下ほど傾斜がきつくなっている。氷河で削られた、幅広い沢の両側にこの様な山が連なる。標高は1500m程であるが、風化の進んだ山を除いて樹木は生えていない。又完全なDome状の山も多いが、風化による岩石流が起こり、一部が垂直になっている山もある。この典型がHalf Domeであろう。釣鐘を真っ二つに割った様な山で、その垂直壁は600mあるという。ここでしか見られない山だ。

九十九折れが終わると、登りは緩くなる。暫く登ると、急な岩壁を開削した登りとなる。ななめ前方には落差の大きい滝が白い帯の様にみえ、ドーム状の山が二つ見える。氷河と風化の産物である。傾斜は山の下部程大きい。山の底部は氷河に削られU字系の傾斜を持つが、頂部は氷河の浸食が少なく曲率の小さい円形となっているのだという。

Nevadaの滝の真上の木橋を渡る。幅5mほどの橋で手の届くほどすぐ下に綺麗な水が急速で流れて行く。流れは1m程先で垂直に落下し、180m程の滝となる。水飛沫と霧を纏った滝は山道の遠くからも見え,瀑音も聞こえる。ここからはMerced川の左岸を登っていく。花崗岩の一枚板の上を歩く。道の印は岩の両側に小さな岩が並んでいる。岩の割れ目にも色々な色をした花が山道沿いに続く。其の先は砂と岩の九十九折れの登り、やや降ると初めて平らな道となる。川岸を暫く歩くと、川から離れ又登りで其の先は又九十九折れ、今日は一日略登りなのだ。ここまでで約600メートル登っており、背の高いJeffery Pineも見られる様になった。長手方向には20cmを超える松ぼっ� ��りが落ちており、リスの齧ったものあった。薄葉さんは植物や景色の写真を撮りながら歩いてくる。それに地図も見なければならず、余程の体力が無ければ出来ない事だ。

 我々はJMTを歩いているが、この山道と交わる他の山道もこの辺りは可なり多い。ほぼ1キロごとにある様に思える。一々確認するのも億劫なほどだ。此怠惰心の性で最初の失敗をし、6キロ余り余計に歩くことに成る。人の多く集まっている所があり、道なり真っ直ぐに進む。本当はほぼ直角に右に行くべきであったのだ。標識が人の陰になって、見えなかった可能性もあるが、我々の不注意であったことは間違いない。

ややキツイ登りとなる。黙々と歩き続けるがやがて、何かおかしい事に気付く。軽装の人が多いのだ。途中で"重装備でここへ来る人も居るのだ"と話しているのを聞いている。我々のことだ。そうこうしている内に、  Half Domeが間近に大きく見えてきた。これは近くで見るとまた見応えがある。然し、何かおかしい。案内書にはHalf Domeの傍を通るとは書いてないことを思い出し、間違いを確信し、引き返す。

先ほどの分岐まで戻り、改めて標識を見る。標識は小さいが確かにあった。改めて正規の道を進む。間違いから何かを学ばなければ成らない。分岐点では次の分岐までの距離確認をする。こうすることで次の分岐までの到達時間が予想でき、標識の確認に傾注出来る筈だ。其れに地図とコンパスをモット活用すること、それに行き合う人に道の確認を頻繁にすることだ。これらの反省として、僅か1時間ほどで2度目の過ちを犯したが、今度は誤りに気付くのが早く、直ぐ引返せた。

2回目の間違いの原因は進行方向を阻む様に2人の女性が水の濾過をしていたからである。右手には小川が流れており、対岸は草が繁っていた。道はどっちだと訊くと、右手だという。確かに道はあり、登っていく。何か様子がおかしいので、戻ってよく見ると、先ほどの水場から直角ないしは鋭角にJMTは続いていた。

陽も高くなり、汗もかく。ほぼ1時間毎に小休止し、水を呑み、おやつを食べたりする。道は全体に登りであるが、時には下りとなる。Meadowと呼ばれる草地があり、その緑は鮮やかで、綺麗な花が咲いていたりする。

幾つかの沢では川を渡った。小石や丸太伝いに渡れるところも多いが、靴を脱いで渡った所もあった。この場合前後で30分ほどの時間が必要で、出来る限り,このような渡河の少ないことを願う

登り道の大半は乾燥しており、土埃が舞上がる。靴にはゲートルをつけているので、砂や小石の入る心配はない。九十九折れのない登りでは、時折振り返って後方を見る。見えている山は2500m前後で、まだ高く見える。樹木は疎らであるが、針葉樹の種類は多く、サトウ松、鬼ヒバや米モミも見られる。更に登って行くと、アメリカ松、コントルタ松もあり針葉樹の種類は多い。これらは葉の付き方、実の形状、樹皮の違い,樹高等で分かる。道の直ぐ傍まで,鹿が出てきたりする。角がなく体も小さいので、子供であろう。人を恐れる様子は無い。ここが彼らの住処であり、よそ者は歯牙にもかけない風である。巨大な木が道を横切って倒れて居る所が彼方此方あるが、これらの木は全て通行の邪魔に成らな� ��様に切ってある。全て人力で遣った様で、人の動かせる大きさの輪切りにして路傍に置いてあった。木の断面に15cm程の黒蜥蜴がじっとしており、陽を浴びて見る角度によって赤や紫の斑点が光るのが印象的であった。

Sunrise川に沿って登っており、Meadowと呼ばれる草地状の所も歩く。渡河も所々にある。傾斜は余りきつくないが、温度は高く汗は十分にかく。

今日の予定は13マイルであったが、これに拘らず、適当なCamp地が見つかり次第、Tentを張ることにした。朝早くから歩きだし、迷った分も入れると25キロは歩いていることになる。高度も1500m程上げて来た。初日なので程々の所で止めておくのが良いのだ。

幸い水場に近く、火の焚けるCamp地がすぐ見つかった。流れの音の聞こえる大きな針葉樹の中に、薄葉さんが素早くテントを張る。僕の出来ることは水汲みと、火を焚くぐらいだ。 

Sunrise Lake分岐点手前、高度約2700m、累積距離:約19km。

未だ明るく、夕食をしている間も何人もの人が行き来していた。Tentに入っても人が歩いているのがわかる。いつの間にか眠っていた。用便のため夜半にテントを出ると、星が大きく綺麗であった。可なり冷え込んできている。

8月7日、7時過ぎに歩き出す。今日はどの様な景色が展開するのが楽しみだ。朝は可なり冷え込だ。これから高度を上げていけば、更に寒くなるに違いない。歩き出しても中々暖かくならず、ストックを握る手は冷たい。木立の中を緩やかに登る。幾つか小川を渡り、平らな草地に出る。  Long Meadowである。殆ど平らな所もある。両側には綺麗な花が切れ目なく続く。大小のMeadowを通り過ぎる。景色は良いが、Meadowは蚊が多く、これには閉口する。Meadowと言う言葉はこれから何回か出てくる。山間地の平地で、多くの場合小川が流れ湿地の為、草が青々と茂った所を指す。放牧地として利用される。

一応素肌が出ている所には蚊よけの軟膏を塗ってあるが、そのほかの所は無防備である。シャツの上からも指される。草地を20分程で通り過ぎ、また登り出す。一時間程でCathedral峠に達し、その先はやや下りなる。左右に見えてくる山は3000mを超えている。遠くからではあるが、中でも見応えがあるのは右前方のCathedral Peak(3326m)である。どれも険しい山容だ。山頂から深く抉れている山も見える。氷河の爪痕、圏谷である。左下の2つの湖はCathedral Lakesである。英語では複数に成っている所に注意されたい。この様な表記は今後も度々見ることに成る。湖は無数にあり、全部名前を付けるのは大変だ。隣接する2つの湖に同じ名前を付け複数形で二つあることを表しているのであろう。この湖の辺りは人気の    Camp地であるが、熊も多いそうだ。

湖の横を過ぎると、又登りとなる。程ない所に群境で分水嶺がある筈だが、全く気が付かない内に通り過ぎて仕舞った。登りが何処で終わり下りが何処で始まったかの確認は出来なかった。(この水系のJMTの距離は28.3Km,登りおよび下りの合計は+2088m、−392m)。気が付くと、緩やかに降り出している。軈て車の音が聞こえてくる。更に進み川を渡り、東に進路を取る辺りで、遠くに車の走っているのが見える。   Sierra Nevadaを東西に横切る数少ない道路だ。その北側にはToulomne Meadowの広大な観光地が広がる。食事や食料の補給も可能だ。JMTは略道路に並行して東に向かう。道路と山道の間には大きなCamp場があり、車で来た人たちが沢� ��居るようだ。山道では軽装の人を良く見かけた。道路に並行に一時間ほど歩き、大きな川に突き当たる。Lyell川である。

川に沿ってなだらかな登りを歩く。殆ど平らと言える。今朝は寒かったので、高度の低い所でCampをする事にする。Lyell川の流れの緩やかな岸で、何人かが裸で川に入っている。我我も小休止をし、彼らが立ち去った後、川に入り体を洗い、靴下なども洗う。雪解け水は冷たいので、上半身はそそくさと洗う。これで2日間たっぷりかいた汗を流すことが出来、爽快な気分になる。陽はまだ高く、風も無いのが幸いであった。時間的には未だ早いが、洗濯をしたこともあり、ここで泊る事にする。川から50m程の所にCamp地があり、誰もいない。洗濯物はCamp地の石に載せておくと夕方までには完全に乾いた。洗剤の使用は制限されているが、洗剤なしで洗うことはよいのであろう。Toulomne High Sierra Camp分岐手前、標高約2620m、累積距離約37.5Km 

今日は道にも迷わず、比較的平らな道を歩き、楽であった。距離も短く19キロ弱であった。4時にはCamp地についた。この後登る人、下る人が可なりおり、暗くなってからも口笛を吹きながら歩いている人も居た。皆自分の予定に従って歩いているのだ。

テントは僅かな砂地に張ったが、周りは平らな白い花崗岩が剥き出しなっていた。氷河が削って行った跡であろう。大きな木が疎らに生えており、夜空は綺麗な筈だ。寝付かない内に犬の様な鳴き声が2度上流の方から聞こえた。熊でも出て追い払っているのかもしれない。夜起きて見ると、満天の星の中を人工衛星が点滅しながらゆっくりと移動していた。それにしても星が大きく、数も多い。蚊が多く、テントの出入りの際、中に入ってくる。Head Lampを点け、帽子で全部たたき潰す。中には血を一杯に吸っている奴もおり、テントに血の跡が付く。蚊は夜中気温が5度に下がると飛ばなく成る様だ。この習性を利用して、明朝は寒いうちに用便を済ませようと思う。丸出しの所を遣られたのでは、オチオチ用も足して居られない。

8月8日:朝テントには薄氷が張っていた。テントは結露で重くなっており、出発は水分を飛ばし、9時か10時にした方が良いのかもしれない。こちらの人が、夕方遅くまで歩いているのはこの為かも知れない。

我々は何時もの通り早く起きており、テントの乾きを待たずに7時には出発する。体が中々温まらなく、手は手袋を着けていても冷たい。歩いている草地は霜で真っ白だ。真夏でも霜の降りる高度なのだ。左右の峰々に陽に映え上がっているが、山道はまだ日陰である。空には雲一つない。今日も暑くなりそうだ。

しばらく花の多い緑の草地を歩く。川の両岸斜面は急峻で、岸の斜面に雪崩の跡であろうか木が倒れている所がみえる。流れ込む支流を彼方此方で渡る。石伝いに、ある所は不安定な丸太を渡る。面倒ではあるが靴を脱いで渡らなければならない所もある。急流ではザックと体との固定部を全て外し、川に落ちた場合ザックは諦め、身一つを守る為である。渡河は慎重の上にも慎重でなければならない。靴を脱いでの渡河も膝より深い所は無かったが、流れは急なところもあり、細いストックでも水流でブルブル震える。両岸での靴の脱ぎ替えも大変だ。アッという間に蚊の餌食になり、背中も頭も凸凹になる。幸いな事に痒さは長くは続かず、跡も残らなかった。

水は生で飲むものは濾過装置で濾過していたが、これも中々時間がかかり、その間にめちゃくちゃに蚊に刺される。標高も2500mを超えており、澄んだ雪解け水なので、3日目以降は濾過せずに河川の水を飲んだ。よく考えてみれば、濾過器は御呪いで、殆ど衛生的には意味を持たない。濾過器は水中の浮遊微粒子を取り除く為のものであり、細菌除去の機能は全くないのだ。細菌の除去には薬剤を使うか、沸騰させるしかない。薬剤は持って行ったが、使うことはなかった。

Lyell川沿いの緩やかな登りは15キロ程続く。川の両側は緑のMeadowが広がり、色々な花が咲いている。  

午後になると岩石の多い登りの道になる。遠くには雪を抱いた山が見える。2度目の分水嶺の峠はどれなのであろうか? 段々と山が近くなってくる。

見えている山のどの鞍部がDonohue峠なのであろうか?麓の情報では3000mを超えると雪があり、特にクレバス上の雪は致命傷になるので注意せよとのことであったが、どの程度の雪があるのであろうか? 

黙々と登って行く。灌木しか生えて居ない剥き出しの岩肌の続く九十九折れは長く感じる。木橋を渡ったり、靴を脱いでの渡河も何度もある。前方に大きな雪面の山が見えて来る。JMTから見えるSierra    Nevada最大の氷河を有するLyell山(3997m)だ。

氷河を右手に見てJMTは左に曲がって行く。更に長い間登ると雪渓の突端に着く。先人の足跡が付いている。可なり溶けて、両側は腰より高くなっており、ストックは邪魔になる。山道は全く確認出来ないが兎に角足跡を辿って300メートルほど進む。雪が切れた所で本来の山道を探す。大きな岩があり、歩くのは大変だ。道が見つかると一安心だ。所によっては雪解け水が流れており、歩き難い。その先にはまた雪がある。何回か雪の中を進み、漸くDonohue[3377m]に着く。今日までの最高地点で分水嶺である。(この水系の移動距離29Km,登り降り+930m、−472m)。峠で一休みし、後を振り返る。通り過ぎた美しい景色が見え、感慨無量である。これから進み行く南東の方向の眺めは広大な広がりがあり素晴らしい。氷河の作った圏谷に水が溜まった沼が数え切れない程見える。

 ここから先役8キロのみと、Mt.Whitneyからの下りが我々の歩くSierra山脈の東麓である。全長350キロあまりの大半は西麓を歩くことになる。新たな水系に入り、雪渓の真下から流れている水をのみ、瓶に入れる。ここから先は覚悟を決め、濾過木を使わず、自然の流水を飲むことにする。水は豊かでどこにでもありそうだ。山道は大きな沢合に沿っているからだ。遥か下には大小の湖が幾つも見える。

 下りに入り、幾つかの川を渡る。流れの速い所もあり、用心して渡る。後で写真みると、ヘッピリ腰で渡って居る。雪は彼方此方に残っていたが、軈てなくなり、沢山の花の咲く植生豊かな湿地帯を暫く歩く。彼方此方に氷河が運びきれなくおいて行った、巨石岩塊が見られる。昨日よりは一段と高い所を歩いているが、Meadowと呼ばれる緑地の平地があるのだ。

昨日は標高の低い割には寒かったので、出来るだけ低い所でCamp地を探さなければならない。樹林帯に入り更に下っていく。轟音を上げ流れるRush Creekを渡ると直ぐに恰好のCamp地があったのでそこで泊まることにする。水場も近く火も焚けるので、最高だ。Marie Lakesの分岐地点(2950m)。丸3日で40マイル強、64キロ以上歩いたことになる。ここまでは順調と言える。先は長いので無理はしない方が良い。


観光客の訪問月桂樹forkを行う

 明るい内にテント内で横になる。日が陰ると急に寒くなるのだ。

8月9日:朝5時に起きる。思った程寒くは無い。気温は高さだけでなく、地形や気流にも影響されるからであろう。4日目ともなれば、行動は定型化してくる。起きて飯を食い、次の目的地に着くまで歩き、食って寝る。それ以外は何も考える必要はなく、遣ることも無いのだ。人間社会の雑音は何一つ無く、兎に角自力で自然の中を歩くだけだ。毎朝7時前後に出発し、5時前後にはCamp地に着く。陽は6時には登り、8時ごろ沈むので、モット歩こうと思えば、歩けるが無理はしない。

 昨日までの経験から日に20キロはそう無理せずに歩ける事も分かって来た。食料もやや減って来ており、また水も当初のように2リットルではなく500ccで十分であるので、その分体に架かる負荷も少なくなっている。何となく、全行程の踏破は可能な様な気がしてくる。只山中では何が起こるか分からない。一寸した不注意で捻挫を起こしたり、転倒し怪我をする可能性は皆無ではない。渡河の際の事故も無視出来ない。突然の天候の悪化もありうる。兎に角、用心し出来ることをするしかない。万一僕に何かがあった場合は薄葉さん一人で踏破敢行をして欲しいと伝える。そんな事は出来ないと言うが、本当にそうして欲しい。僕だって何としても無事踏破して帰国したい。この後には9月の南米、10� ��のIstanbul遠征を控えて、仲間の分も含め200万円以上既に払い込んで居るからだ。最悪の事態が起ればこれらは全て無に成り、お金は返せても、大きな迷惑をかける事に成る。安全第一、無事踏破が最大の目的だ。

 7時頃に歩き出し、下って行く。九十九折れを少し降ると登りが始まる。水の豊富な所で彼方此方で大小の川を渡る。途中から花崗岩の色が黒みを帯びてきた。この先に火山でできた地層があり、その境目で岩石の成分が変わった為だという。道には火山性の岩石がゴロゴロしており歩き難い。岩だらけの痩せた土地にも疎らに樹木が生えており、花も咲いている。1,5キロ程で標高3124のIsland 峠に着く。山の中に島峠とは、これいかに? どうやら、直ぐ先にあるThousand Island Lakeと関係がありそうだ。ここで水系が変わり、水はSan Fransisco湾に流れる。(先の水系はJMTの中で一番距離が短く、水は塩湖に流れ込み、そこで蒸発してしまう。移動距離7.8Km,登り及び下りの合計、+183m、−442m)ここから先山道はまたSierra 山脈の西麓を通る。

 今日まで3日間は毎日今までに見たことのないような、雄大で美しい山、綺麗な渓谷の清流や滝、沿道に咲く色とりどりの高山植物を毎日驚嘆しながら見てきた。今日の楽しみはこれに、湖が加わる。ここまでも幾つかの湖を見てきたが、ここから先20キロの間に大小様々な湖が無数にあるのだ。

 峠を降りだすと直ぐに左右に湖が見えてくる。1キロほど先には可なり大きな湖が山道の右下方に見えてくる。Thousand Island 湖である。長手方向は2キロ程の湖で、その中に花崗岩の島が沢山ある湖だ。山道の見晴らし台から略全景が見える。島には針葉樹を冠したものも多く、絶景である。日本ならこのような景観を手付かずで残すことは不可能であろう。観光船が何隻も行き交う一大観光地となっているであろう。所がここはどうだろうか? 湖の名前を書いた看板も全くない無いのだ。湖は地図の上と、そこを訪れた人の心の中にのみ存在しているようだ。792

 この他次々に湖が現れる。Emerald 湖、Ruby湖、Garnet湖等宝石の名前を持つもの、LauraCharlieなど人の名前を持つもの等様々である。行き合った人に聞いてみた。これ程の湖は全部名前が付いているのかと。付いて居ないものもあるかも知れないとの答えが返っていた。そんなことは無いと思うが、ひょっとしたらあるのかも知れない。それ程沢山の湖があるのだ。後で調べて分かったが名無し湖は可なり多く、又多くの湖は名前の後にLakesと複数表記となっている。これは隣接した2−3の湖に一括りにして与えた物と考えられる。それ程湖は多いのだ。

 湖面の標高は3000mに近いものあり、周りの山は当然それ以上だ。雪を抱いた山々に囲まれたこれら湖の姿は永く印象に残るものだ。沿道の花々も美しい。時々現れるMeadowの緑も格別だ。只ここは淀んだ水のある所で,蚊の繁殖所である。夥しい数の蚊が居る。人が歩いていると、煙幕の様に蚊の集団の幕が人の形で出来る程だ。蚊柱とはこういう状態を指すのであろう。Swedenの北部も時期によって蚊が多いが、こちらの蚊の大群はその比ではない。

蚊よけの塗布剤を塗っては居るが、全身に塗るわけには行かない。塗ってある部分は蚊に食われることはない。只休憩の為ザックを降ろした途端、背中が凸凹に成るほど刺される。Tシャツ等を着ていても蚊に対しては何の効果もない。折角の美しい景色もゆっくり見ることが出来ないのは残念である。828,829,830 851

歩いていると時として、人に出会う。同じように南を目指している人で早い人には追い抜かれたりする。反対側から来る人からは、その先の山道の状況、特に川越え、雪、迷い易い所等に関して訊く。殆どの人が親切に答えて呉れるが、人によっては的確な返事は貰えない。大体軽装の人は近くの入り口から2−3日の予定で来ている人たちで、こちらの歩こうとしているルートに関して詳しくないからだ。勿論、JMTを最初から北に向かって歩いている人、Mexico国境からPCTを歩いている人にもたまには出会う。こういう人たちの情報は的確で役に立つ。又偶にはForest Rangerにも出会う。彼らの情報は詳細で的確である。今日は子牛程の犬を連れたRangerと出会い、この先危険な場所等に関し訊いた。日本から良く来たと言い、親切に教えて呉れた。山で会った人は皆親切であった。810                   

 沢山の湖を見て、上り下りを繰り返しながら、徐々に下って行く。斜面全体がシャクナゲの九十九折れもあり、花の時期はさぞ見事であろうと想像したりする。水は見えているが、火山性軽石の砕けた砂地の道は乾いており、細かな土埃が舞上がる。夏は乾期で殆ど雨は降らないからだ。8月の平均降雨量は2ミリと聞く。

高度を下げるにつれ、蚊の数が増えて,鬱陶しい。Jonston Meadowの湿地帯の辺りは特に酷かった。Camp地もあり、何組かのTentがあったが、その先で泊る事にしたが、ここも今までになく蚊は多かった。

 雲一つ無い晴天の中、沢山の色の異なる湖を見たことで蚊の害は忘れることにしよう。綺麗なもの見て、蚊に刺されるか? 何も見ないで、蚊に刺されないか?僕は前者を選んだので、文句を言える立場ではない。それにしても何と蚊の多いことか? これも自然なのだ。

 今日は身体的な変化が出てきた。昨日あたりまで余り食欲が無く、予定した量を消化出来なかったが、今日からは平常の食欲が出てきた。元々、全て通常食べて居ない完全乾燥食品なので、多少の食欲減退は避けられないことは前もって想定していた。朝晩はお湯で柔らかくした物を食べていたが、昼間の移動食は、ナッツ類、チョコレート、粉砕カリントウやポテトチップで決して食べやすい物では無い。特にナッツ類は咀嚼しやすい物では無く、短い時間では必要量を食べることは出来ない。この為、前日まではCamp地に着いてから、夕食の前に昼の残りを食べる様にしていたが、中々予定量は摂取でき無かった。食欲が平常に戻ったこと、疲れもそれ程出ていないので、益々踏破の可能性が大きくなったと思える様になった。

 今朝から僕は生まれて全くしていない事を遣ってきたのだ。今まで最長の山行は2泊3日であり、この意味では全く新たな経験なのだ。

 Campは木立の中の黒い火山性の砂地であった。早速火を焚いて、蚊よけをする。蚊取線香もあったが、大自然の広い空間では余り効果が期待出来ない。焚火の煙が一番だ。

Beck Lake Junction,2463m,入山からの累積距離:90.6キロCamp 

8月10日:歩き出すと直ぐにDevils Postpileへの分岐に着く。右に入って行くと国の記念物となっている同名の柱状石理群に行く。柱状石理は溶岩がゆっくりと固まる時に出来る断面が6角形の柱状の岩石で、日本にもある。僕は世界遺産に成っている物をIrelandで見ている事もあり、また何よりも今回の最大の目的は踏破であるので、そちらに行かず、真っ直ぐに南を目指す。間もなく500メートルほど下方にそれらしい物が見えてくる。垂直に立ち上がった岩石群で傍で見れば更に素晴らしいに違いない。

今日はどんな景色が見られるのかを楽しみでルンルン気分で下って行く。道は軽石の砕けた細かい砂で、以前にも増して歩くと埃がでる。Rainbow滝の分岐を確認して更に下って行く。この辺りは道幅も広く、沢山の人がいる。中には街中と殆ど変らない恰好の人も居る。前方には焼け残った黒い立ち木が残って居る広大な山の斜面が見える。前を歩いていた男女の2人組が熊が居るという。焼け跡で殆ど植生の残っていない見通しの良い所で熊が道を横切り悠々と歩いている。大きくは無いが人間は丸で眼中に無いようだ。

更に左右の焼け跡を見ながら谷合を緩やかに下って行く。1992年落雷により広範囲に渡る山火事の後で焼け跡は何キロにも渡って続く。カリフォルニアは山火事と地震で有名な所で、山火事はこの辺りだけでも年間400−500件起るそうだ。多くの場合、人命や人家に影響がない場合は消火せず、自然に任せるのだという。これから先も殆ど全行程に渡って火事の痕跡を見ることになる。それは炭化した立ち木や倒れた木に見られ、また辛うじて生き延びた木の幹に残る焼け跡にも見られる。こうして生き残った巨木を見ると、自然の生命力の偉大さに驚愕と感動を覚える。 

相当下った後キツイ登りに差し掛かり間も無く、工事をしている男女に出会う。山の中の重労働に女性も従事しているのである。この先も何組かの作業グループに出会った。彼らは一切機械は使わず、昔ながらの道具で山道の整備をしているのである。お礼を述べ通り過ぎる。892

大分降りて来たので雪は無いが景色は素晴らしく、花も綺麗だ。途中右手に大きな川が流れて居り、川の傍の高台に大きなテントが幾つか見える。釣り人達の物と思い通り過ぎる。更にドンドン下って行く。こんなに降る訳がない。随分長い間分岐の表示を見て居ない。何かおかしい。薄葉さんと荷物を残して、最後の工事現場まで戻り、確認する事にする。自分たちの現在位置が地図上でも確認出来ない程、歩き過ぎたのだ。工事現場には4人ほど居たが、JMTからは大きく逸れており、11キロ余り戻る必要があるという。時間は3時を過ぎており、そこまで戻るのは無理なので途中で泊る必要があるともいう。僕の持っている地図の範囲外に来ており、現在地のわかる別の地図を呉れた。Camp地はどこが� ��いだろうと尋ねると、兎に角荷物を持ってここまで戻って来いという。急いでまた下り、荷物を持って戻ると、一人だけが待っていた。他の連中は皆作業を終えて帰ってしまったのだ。残っていた男は、Camp地は3キロほど戻った道の左手の叢の中で分かり難いので、目印の石を置いて行くからと言って先に行ってしまった。言われた通り進んで行くと、其れらしい石が見つかり、叢を入って行くと上等のCamp場があった。

初日に2度の失敗をして反省をし、分岐地点の確認は不可欠としていたが、その後3日間問題をおこしてないので、この基本を忘れて居たのだ。モット手前で工事の人や、行き会った人に尋ねるべきであった。往復22キロ余り、丸一日分を失ったことになるが、起こって仕舞ったことは取り返しが出来ない。回り道をし、御負の観光をしたと思えばいい。今後何日か掛けて、日程合わせるしかない。

Campに着くと程なく,4頭の騾馬を連れた馬方が馬に乗って通り過ぎた。馬糞はよく見たが実際に馬と騾馬を見たのはこれが初めてだ。これらの馬はこの道を歩く人の為の食糧などを運んでいるのだ。今日のCamp地は不明、達成距離は0。 

8月11日:昨日来た道を戻り出す。3キロ程戻ると昨日見たテント村がある。釣り人のテントでは無く、工事の作業者用の物であった。10人余りの作業者が揃いの作業着を着て、準備体操をしていた。100メートル程離れて居り、向こうで気が付いたかどうかは分からないが、大声で感謝を述べ、手を振ってその場を離れ、先を急ぐ。

今回の山行計画では同じ道を2度通る所はMt.Whitney真下から2キロ強、往復4.5キロのみであった。不注意で道に迷い、これ程長く同じ所を歩くことは全くの想定外である。愚痴っていてもしょうがないので、同じ景色でも反対方向から見ると、変わって見える等と思い、登って行く。思い掛けず中くらいの鹿に出会う。耳が非常に大きく角は無い。じっとこちらを見ていた。

広大な山火事の広がり見えると、本来のJMTはそう遠くない。程なく、昨日の馬方と騾馬の群れに出会う。馬の来た方に暫く進むとJMTの分岐が確認出来だ。

昨日この先に分岐で良く注意していれば、ここは間違う筈のない場所であった。地図を見れば南東に進みしかも登りとなる所である。昨日我々はこの前の分岐で直進略真南に下って行ってしまったのだ。

起こって仕舞ったことはしょうが無い。ここからが今日の始まりだ。遅れは何日か掛けて取り戻せば良い。埃の多い道を登って行く。小川を4つほど渡ると坂がきつくなる。赤茶色で円錐形をした頂部が丸い山が2つ見えてくる。Red Conesと呼ばれている山で明らかに火山であり、噴火の跡と思われるクレーターが側面に見える。

暫し針葉樹の中を歩く。樹木の無い日の当たる所は緑が美しく、綺麗な花が咲いている。周りに見える山は殆どが火山で22万年から300万万年前に出来た山で、Sierra Nevadaの大部分を占める花崗岩の山と比べると遥かに新しい。辺りの地名も、Crater Meadow等火山に由来する名前が付いて居る。

正規の」JMTに戻ってから2時間半程で分水嶺(2810m)に出る。ここはMadera−Fresnoの郡境でもある。山はまた隆起した花崗岩出できている。(この水系の移動距離、36Km,登り下りの合計、+1219m、−1524m)

新しい水系に入り1時間程歩き野営することにする。モット歩けるが、この先登りとなり、Camp地が少ないからだ。Deer Creekの分岐点。標高は2774m、累積距離:103.5キロ。 944

2日掛かって13キロしか前進出来なかった事になる。道に迷った失った距離は1.5日分に相当する。計画での余裕は3日あるので、それ程焦らずに少しずつ遅れを取り戻すしかない。最悪全く取り戻せなくとも、何とかこのまま行けば日程内で踏破は出来る。

8月12日:テントを張った所は平らな岩の上に砂の溜まった所であり周りにはあまり木の無い所であった。ここで初めてガスバーナーを使い御湯を沸かし、朝食を取る。陽が登りだし、山頂が映え上がる。

歩き出すと直ぐに川を渡り、九十九折れを登って行く。針葉樹が疎らに生えており、日の当たる地面には色々な花が白い岩の間に咲いている。岩石の色が変わり出す。火山性岩石から又花崗岩帯に入ってきたのだ。山道は乾いており、歩くと埃が舞上がる。幾つかの川を渡り、ほぼ3時間登って行く。高度は3000mを超えている。其の先上り下りを繰り返し、徐々に高度を上げて行く。疎らに針葉樹の生えた山道は美しく、森林浴をしている気分になる。湖、渓流、滝も彼方此方に現れ、飽きることが無い。毎日が美しい自然の造形を堪能出来る旅だ。急峻な絶壁の下には大量の岩錐が見られるが、それらは氷堆石では無く、岩石氷河だという。この深部にある氷は今までの氷より更に古い可能性があるそう� ��。

 前方に雪の山が見えてくる。あの山の何処かの鞍部が今日超えるSilver峠であろう。可なりの幅の川を渡る。流れは緩やかで、大きな石伝いに渡られた。川を超えると直ぐ雪がある。愈々峠を目指して雪渓を歩く。 Silver峠(3277m)を超えると、別の水系になる。(この水系の移動距離、27.7Km,登り下りの合計、+1326m、−853m)歩き難い九十九折れの急斜面を用心しながら下る。同名の湖に出る前に緩やかな下りとなる。今日は随分歩いた、出来るだけ低い所まで行きたい。大きな花崗岩の大地を歩き、美しい滝に見とれる。

其の先は厳しい九十九折れと、激流の渡河がある。2つ目の川を渡った後、野営することにする。幾つかのテントが張られており、空いている所を見つける。条件は似たりよったりだ。今日初めて周りに人のいる所で寝ることになる。薄暗く成りかけていたが、薄葉さんは釣りに出かける。許可証は入山後10日間となっているので、ウズウズしていたのであろう。今までも魚が見える川や湖を見てきているので、良く我慢したものだ。歩くことが先決で釣りの余裕が無かったのであろう。僅かな間に3匹ほど釣ってきた。木の枝に刺し、焼いて食べた。釣りたての虹鱒は微妙な香りがあって美味しい。

歩き出してから丸1週間今までに無い疲れを感じた。川からバケツに水を汲んでテントまで運ぶ石だらけの不整地を歩いていると、ヨロヨロし、脚元が定かでないのだ。バケツの水は精々8キロ足らずだ。疲れて証拠と考えて、それなりの注意をしなければならない。薄葉さんも腰の不調を訴えて居り、お互いに身を労わって、最後まで動き続けられる様にしなければ成らない。

Mott Lake分岐点、標高2737m、累積距離135.7キロ

8月13日:歩き出すと直ぐに綺麗な花が途の両側に咲いている。黄色いユリは他でな見たことが無い。今日も新しい景色を見ることが出来るのだ。ジグザグの道を下って行くと、雪崩の跡があり、小さな木しか生えて居ない。度々雪崩が起こる所の様だ。渡河も何回かある。歩いていると絶えず水の流れる音が聞こえる。それは直ぐ傍の花崗岩の一枚板を流れる水音であったり、見えない遠くからの滝の音である。出発一時間ほどで、4人組の若者が追い抜いて行く。彼らとは何回か前後しており顔見知りだ。この先でEdison湖をFreeyで渡り、食料補給の為急いでいるだという。 

出発から3キロ程は下りで、その後は長い登りとなる。5キロで高度が600m高くなるのぼりだ。こちらの九十九折れは非常に大きく、長い所では500mほど同じ方向に登りて行き、そこで向きを変えまた登ってていく。傾斜は馬が歩ける用に作ってあり、四つん這いで登る様な傾斜は無い。1041

ジグザグと急な斜面を登って行くと珍しい花が咲いている。動物の糞も時折見かける。熊の糞はそれと分かるが、毛の混じった物はCoyoteの様な肉食動物の物であろうか?リスも彼方此方で見かける。木に登らず地べたで生きているようだ。略登り切る辺りにBear Ridge Junction(熊尾根分岐点)がある。其の後は5キロほど下り、また登り出す。右手下方に流れる川はBear Creekの名が付いて居る。この他地図を見るとBear Twin Lakesの表記があり、この辺りは熊の多い所の様だ。Bear    Creekの分岐点からはまた登りとなる。同名の川に沿って登って行く。Upper Bear Creek Meadowには綺麗なお花畑であった。 < /span>

幾つもの小さい川を渡り徐々に登って行く。Meadowも2つ通り過ぎる。ここの花も綺麗だ。Mea―  dowとは比較的平地で水が豊かで草の生え茂った場所をいう。草地なので放牧に良く使われる。元々JMTが整備された原因を探れば、移動式放牧に行きつく。JIMの中には今でも放牧が認められている所もあるが、それらは良く管理されており、再生の為の休養地等の看板を目にする。この先も次の分水嶺までは登りであり、あまり高度の高くならない内にCamp地を探す。Rose Lakeの分岐点にCamp地があり、火も焚けるので、ここに決める。他の人たちのテントもあり、万一熊が出ても心強い。

今日もまた虹鱒にありつけて有難い。之がここでの唯一の生鮮食品だ。鮮度は飛び切りに良い。僅かな時間ではあるが、釣っる間に滅茶苦茶に蚊に指されると言う。 

明日は愈々距離的に中間点を超え後半部に入る。送って置いた食料も受け取れる。残っている食料は少なくなっているが、明日はまた熊缶に入らない程の食糧が補給できる。勿体無いが、余分な食料は焼却する以外にない。熊や他の野生動物に人間の食べ物を与えることは厳に避けるべきなのだ。粉砕カリントウは全部焼却処分した。

初めて3000mを超えた地点での野営で寒さ対策のため、何時もより多く重ね着をして寝袋に入る。持ってきた寝袋は軽さを優先したので零度までには対応出来ないのだ。時々は下着も水洗いし、体も拭いたりしているが、日本ではこの程度では、寝袋に入った時ベトツキ感が間違いなく出るが、ここではそれは無い。昼間は可なり汗をかいているので、もっと不快感が出ても良いのだが、それが無く、有難い。空気が非常に乾燥しているからなのであろう。

Rose Lakeの分岐。標高3059m、累積距離:158.2キロ1096,1099,1101

8月14日: 少し登って行くとRose湖が右手前方に見えて来る。更に行くと、左手にMarie湖が見える。。昨日超えたSilver峠より若干高いSelden峠は近い。Marie湖の西岸を暫く歩くと傾斜は一層きつくなる。気にする程の雪はなく峠越えが出来た。最初の峠からは100キロ以上南に来ているからかもしれない。Selden峠3319m、この水系での移動距離32.5Km,上り下りの合計、+1311m、−1280m。

やや急な坂を降りて行くとHeartの形をした湖が見える。其の東岸を歩き更に下って行く。程なく    Salie Keyes Lakesと名付けられた双子の様な湖があり、その真ん中を通り、更に南下する。大きく蛇行しながらの登りで、Sengar川の川越もある。更に下って行くと急な山の斜面を大きくジグザグしながら下っていく。


トップマストtruruミリアンペア02652

傾斜がなだらかに成ると、右下に大きな川が見える。San Joaquin川である。Meadow状の所も多く、花も奇麗だ。荷物も今日が一番軽くなっており、快調に歩を進める。間も無く食料の補給が出来る   Muir Trail Ranchに着く。ここは僅かな寄り道で補給の出来る場所で、ほぼ中間点にあるので好都合だ。1137,1138、

ここで食料が届いていないことが分かり、愕然とする。食料はバケツに入った物が大量にここに運び込まれている。全部探したが自分達の物は無い。管理をしている御婆さんがコンピューターで所在を調べて呉れたが,モノが何処にあるかすら分からない。悪いことは重なるもので、日曜日なので郵便局とも連絡が付かないのだ。御婆さんは心配する事無い、ちゃんと山を越えらる様にしてやるからと云い、一つのバケツを指さす。日本人の依頼品だが期日までに現れず、既定の料金も払って居ないので処分しても良いと言う。勝手に開けて気に入った物を持って行けという。開けてビックリ、僕の山歩きには全く不向きなものが沢山入っていた。其れでも薄葉さんにはアルファー化米等が入っていたので其れなりに� ��には立った。

僕に向いた物は無いと言うと,他のバケツを探せと傍のテントを指さす。10個程バケツがあり、それなりに仕分けして食料が入っていた。取りに来なかった人も多く居る様だ。好みの物は無いが、代替品で間に合わせるしか無い。選択の基準はあくまでもカロリー:重量・嵩の比の少ない物だ。熊缶の空間に空隙が出来ない粒状の物だ。粉末ココア、味付きの米や豆類の入った物、ナッツ類、粒状に成ったおやつ、それにサラミソーセージであった。何とかこれらを缶に余る程選んだ。

更に問題がもう一つあった。送ったバケツの中には後半に必要な常備薬が入っているのだ。之が無いと腰にヘルペスが出た場合大変な事になる。この旨を御婆さんに話すと、自分は元看護婦であったので事情は良くわかる、郵便局に連絡を取り、山を下りてすぐ利用できるように、物をLone Pineの郵便局に送る様に連絡をして置くと言った。

補給が終われば直ぐに出発である。しかし、焦っていたのでここでも道を間違え、1つ手前の小道を右に入って行き、1時間ほど大汗をかきながらあらぬ所を歩き回った。冷静に成って考えれば間違いに直ぐに気付く筈だったが、四つん這いになって、大きな石を登ったりしたのだ。JMTは馬が通れる様に出来ているのをモット早く思い出すべきであった。間違いに気づき引き返し、本来の道に戻った。緩やかな登りが始まる。1時間程歩き、川を超えた所でCampする。他の人のテントもあり、安心できる。

夕食時に困った事が起こる。持ってきた食料は簡単には食える様に成らないのだ。山の携行食は短時間で食える状態になることも重要な要素だ。御湯を注ぎ、2−3分、精々長くとも15分位で食える様に成らなければ話しには成らない。所が、代替品として貰って来た物はドレも通常の調理時間が必要な物ばかりであったことを知り、愕然とする。最初は知らないのでお湯を注いで、待った後口にしたが、コメなどは全く生のままで食えたものでは無かった。時間の節約の為、夕方明朝のものも一緒に作ることした。最低30分調理にかかる。熊缶に入り切れない食べ物は木に吊るす事にした。Puite Creek分岐点、2456m、累積距離:177km

8月15日:今日は終始登りで、次の峠を目指す。陽が差し出し、正面の山は白く眩いばかりだ。30分程すると、巨大な岩山が山道から立ち上がっている。この山道の名前でもあるJohn Muirの名を関する岩塊の山だ。右側にSan Joaquinの急流が見えて来る。花崗岩の一枚板の上をWater Sliderの様に流れている様は圧巻である。小さなMeadowを通り、更に登って行く。黒色の岩石も見られ火山の影響を受けた地域はまだ終わって居ない様だ。

急な斜面で雪崩は頻繁に起こる様で途中には大規模な跡が見られた。また氷河の産物、懸谷もよく見かける。

この様な岩だらけの土地にも大きな松が生えている。成長するに従い周りの岩を押しのけ様としても、叶わず、幹が大きく岩に食い込んでいるものある。又この辺りも火事があったらしく、幹の大半が炭化した状態で生き続けている木もある。生まれた所で何とか生き続けようとする、生物の生命力は計り知れない。驚異である。

ややあって水量が多く、白流となっているSanJoaquin川の鉄の橋を渡りのその右岸に出る。この川がJohn Muir自然保護区とKings Canyon国立公園の境である。

歩き出して初めて牧柵を見る。道を遮る柵が出て来たので最初は驚いた。しかしMeadowはここが観光地として管理される以前から、放牧地として使われていたのだ。高地で草の成長も遅いので、極期間を限って今も利用しているのであろう。簡単に開閉でき、通った後は元通りにしておいた。

川を2つ渡ると、九十九折れの登りである。岩石の土地に疎らに生えた針葉樹の中を登って行く。Ranger Stationを表示を見たが何処にあるか分からずに通り過ぎた。偶々後ろを振り返ると木立の中に小さな木造の小屋があった。出来るだけ自然への負荷を減らす為、必要最小限の建物としているのであろう。 Rangerの仕事は自然保護と山行者の安全であろうが、積極的に山行者と接触する意図は無いようだ。Stationの傍の山道にそこを通過する人や馬の数を確認する為に記帳する様に紙が用意されていた。

又大きな岩が物の見事に真っ二つ割れているのもある。風化の過程である時突然割れるのだろうか?雪崩とか土石流の現象は我々も知っているが、岩石流という現象がある事はこの年にになって初めて知った。お恥ずかしい話だ。実はモット注意していれば、何年か前に知り得たのだ。NorwayのFjordは隆起した岩盤を氷河が削った後跡である。数年前Swedenの友達とNorway北部に釣りに行った時、岩山の大崩落跡を見ている。大音響と共に瞬時に崩れ落ちたという。その時は現象のみを見て何故それが起こったかには考えが及ばなく、そのままになっていた。

岩石流は雪崩や土石流と同じ様に、岩盤内のある面が重力に抗し切れす滑り出す現象だという。予測は非常に難しく、ある時突然崩落が起こるという。最少にみてきたHalf Domeなどもこれにより、釣鐘を真っ二つに割った姿に成ったのではなかろうか?

San Joaquin川に沿って登っており、それに注ぎ込む支流の数も多く,その都度、川越がある。橋がある場合もあるが、丸太や石伝いを渡ったり、靴を脱いで渡ったりする。周り道をして渡り易い所を渡る。大事な事は安全第一だ。

2時間程登り川から離れ、ジグザグに登り、Evolution Valley(進化谷)に入り進化川沿いに緩やかに登る。この谷も水の豊かな所で、Evolution川に注ぎ込む支流の川越がある。Meadowも沢山あり緑や豊かだ。色々な草花に混じり、薄紫の花の咲く韮類もある。背丈が高く葉の幅も1cm程ある。摘まんで食べると可なり辛い。又時期が遅い為が、中々固い。生の野菜は10日以上食べて居ないので、時々食べた。川沿いに3時間余り歩くと、また急な九十九折れに成る。この手前でDarwinの名を関した峰が右手に見える。

雪渓を登るとEvolution湖で、湖面の高さは3256mある。長さ約1キロの湖の北岸から東岸に沿って歩き、その南端の流水口で渡河する。そこから更に登った所の緩やかな流れの傍に設営地を探す。花崗岩盤の土地で砂地は少ないが、何とかテントの張れる砂地を探すことが出来た。流れの緩やかな川の傍にの僅かな砂地の上であった。寒くなっているが、流れで体を洗い、洗濯をし、石の上に干す。今日も魚が釣れたが火は焚けないので、水煮をした。新鮮であれば調理法はどうでも良いのだ。

今日の景色も素晴らしいかった。峠を越えて下がった所で宿泊したかったが、荷物も重くなっており、予定の距離を歩いた所にテントを張はった。Evolution Lake入り口、3308m、累積距離;197,1km 

8月16日;標高が高いので朝は寒い。動いていない水は凍っている。谷合を徐々に登って行く。両側の山には雪が見える。氷河の作った大小の湖沼が無数にある所だ。昨日から今歩いている辺りも壮大な氷河活動の跡だという。気が付かなかったが進化谷そのものが懸谷で、氷河の本流であったGoddard渓谷やMcCee湖への入り口はより深く抉り取られて段差が出来ているという。

流れに沿って登って行くと、Sapphire湖、名無し湖[地図には名前が載っていない]、Wanda湖、第二名無湖の岸を通りる。この辺りの山の名前には進化論に貢献した学者の名前が幾つか付けられている。又この辺りから岩石の色が黒くなりだす。黒色のピラミッド状の山はMt.Goddard。

Mcdermand湖を左に見て、 更に登って行くとモルモットが石の上で日向ぼっこをしていた。その先で傾斜がややきつくなる。ゴロゴロ大きな岩塊のある道で歩きにくい。雪渓も見えているが中々辿り着かない。

暫くすると案内書に出ている石室らしきものが見えてくるが,確信は持てない。1キロ程先の様だ。傾斜はそれ程きつくないが、歩き難い道と雪渓の為進みは遅々として、中々小屋らしい物に近づかない。荷物と低酸素の為歩みは鈍くなっているのだ。其れでも前進を続け、小屋に近づいて行く。 

やっと小屋に辿り着き、中に入ってみる。八角形の建物で屋根も含め全てこの辺にある石を使って作られている。緊急避難小屋で風雪に長く耐えてきた建物で、一面には暖炉があり火が焚ける様になっているが、この辺に燃料となる木は無い。真ん中は空間となっており周りは腰掛になっている。この腰掛や真ん中の空間を利用すれば、20人程度は寝ることが出来よう。更に少し登った所がMuir峠、3652m、である。今までで一番高い峠の分水嶺である。峠に辿り着けば一安心と思う人は多く、何人かの人と頂上で会い言葉を交わす。Mexico国境からPCTに沿って遣ってきた男も居り、雪の降る前にCanada国境まで行きつけそうも無いと言っていた。皆思い思いの歩きをしているのだ。 Muir峠3652m、この水系での移動距離42.4Km,上り下りの合計、+1494m、−1158m。

峠からの眺めは素晴らしい。特に進行方向は視界が開けて居り、幾つもの湖が見える。下りに入るとややキツイ九十九折れとなる。雪が多く残って居り、注意しながら進む。傾斜がなだらかに成るとHelen湖でその南西岸を通り、緩やかに降りて行く。ヘレン湖(これと峠の反対にあるWanda湖はMuirの娘の名)の先2キロほどの間にも幾つかの無名湖がある。

雪解け水が出て歩き難い所も多く、また渡河も何か所もある。周りに雪が無くなると樹林帯となる。歩いているのはLe Conte Canyonで彼方此方にMeadowがある。疎らな樹林帯とMeadowを交互に歩くような感じで、ドンドン降りていく。左手に流れている川はKings川の上流である。峠から2時間半下るとBig Pete MeadowLittle Pete Medowがあるが、この間1キロは気の荒い熊が多いと案内書にあったが、熊をみることは無かった。1200m以上下まで一旦下り又登り出すことになる。これから暫くは毎日この繰り返しになる。雄大な山、豪快な激流、 綺麗な草花を見るにはこれ以外方法は無い。

予定のCamp地のヤヤ手前で激流下りを楽しむ人たちにあう。ここを訪れる人は山を歩く人達だけでなく、釣り人に加え、彼らの様に激流下りを楽しむ人もいるのだ。またCamp地すぐ手前で2頭の鹿に出会い、彼らもこちらをシカと見ていた。Camp地の名前はDeer Meadowであり、根拠のある名前なのだ。Camp地は焚火が出来る所で、今日も釣りの分け前を頂くことが出来た。想定外の御馳走だ。

Deer Meadow Creek分岐点、2691m。累積距離:228Km. 1日半の遅れを出したが、その後5日かけて、徐々に遅れを取り戻しつつあり、今までの平均移動距離は辛うじて20キロを超えるようになった。このまま順調に推移すれば、後5日程で、完全に当初の行程に戻れる筈だ。

8月17日:11キロ先のMather峠を目指して木立の中を登って行く。直ぐに鹿にであう。じっとこちらを見ている。鹿の習性だ。彼らに安全な空間があれば、こちらの動きを観察しているのだ。小一時間花の咲く木立の中を緩やかに登って行く。その後、岩石だらけの悪路になり傾斜もきつく成る。左側は急峻な崖で、その岩盤をそぎ取って道にしたようで、不規則に蛇行して行く。傾斜が緩くなると、Palisade湖が見えてくる。この辺りで谷の幅が狭くなっており、両側の崖は急峻だ。Palisade湖は双子の湖で、同じ様な形をした細長い湖だ。幅は2−300m、長さは1キロ程であろう。その間は5−600m程の川で結ばれている。この湖の北東岸を歩く。流れ込む沢の川を度々渡る。暫く登って行くと、樹林帯の外れとなり、雪も見えてくる。複雑にジグザグを繰り返しながら、大きな岩石の道を登って行く。途中で振り返って見ると景色は素晴らしい。前方の山は険しい表情だ。峠に近づくにつれ、傾斜はきつく成り、雪と大きな岩の悪路の中を登る。ここがJMTでも最も遅く開通した遊歩道で,開削は難行した様だ、今まで一番標高の高い峠で、その分雪は多く、雪渓も長く続く所がある。峠に着くと、万歳である。峠には標識も何もない。Mather峠、3688m。この水系での移動距離34.7Km、登り下りの合計、+1341m、−1312m。

これから向かう彼方の山の表情も険しい。4200mを超える山が6座望める。ガレ場の道を用心しながら下って行く。暫く下るまでは周りに雪もある。水系が変わっており、最初の雪解け水の流れている所で、水の補給をする。この水取りの行事はもうお決まりになっている。JMTには13の水系があるが、その都度最初の雪水で乾きを癒し、ビンに詰める

この水系の谷幅は広く、その中に数多くの湖沼がある。渡河も多い。辺りの山は大分風化が進んでいる。岩石が細かい岩塊となっているのだ。岩石は固まった後地表に現れた瞬間から風化が始まる。隆起した岩石は最初は平らであっても、雨風の浸食で削られてゆき、溝は谷となり、更に浸食が進む。巨大な岩石の山も次第に風化崩落し、大きな岩塊から砂や更に細かな粒子となり、河川により低地へ運ばれ、最終的には海に運ばれる筈だ。そこで気の遠くなるような時間をかけ、再び砂岩や泥岩に成るのであろう。遠くの山には橙色の岩石が見えて来た。遠い昔、何らかの地殻変動があったのであろう。

峠から5キロほど下がりKings川を渡った所がこの水系でのJMTの最低点(3060m)であり、そこでCampとする。ここには他の人も来ており、火を焚いて居ると親子連れが話しかけて来た。彼らもJMTの踏破を目指しているという。少年は13歳だ。この年で、時間を掛けてもこれだけ長い山歩きが出来るのは羨ましい。日本では中学の1年生であろうが、山のことは詳しいようだ。JMTの最短踏破記録は3日だとも言っていた。マシュマロを持ってきて、僕らにも呉れた。枝に刺し、火かざして焼いて食べた。こんな所でこんな物が食えるとは思っていなかった。Main South Fork Kings Crossing,3310m。累積距離:247,7Km

8月18日:木立の中を登ってゆく。この間から見える山は陽に照らされ、輝いて見える。Kings川に沿って2キロ余り登り、川を渡る。道も悪くないので快調に歩く。澄んだ水の川で、流れは余り早くない。7キロ強の間に600mあまり登ることになる。更に2度の渡河の後、九十九折れの登りとなる。方向が変わると違った景色が見え飽きずに登ることが出来る。崩壊が進んだ山が多く、岩石の色が橙色をしている山もある。斜めや縦に筋が見える所もある。隆起の圧力の巨大さは計り知れない。目指すはPinchot峠(3697m)で、昨日の峠より若干高い。傾斜が緩くなると、右左に湖沼が見えてくる。10程はあるが、名前の付いて居るのはMarjorei湖だけである。1時間ほど歩くと、峠の登りに差し掛かる。予想より雪は少なく、峠に立つことが出来、一休み。天気は今日も晴天で見晴らしはいい。Pinchot峠、3686m、この水系での移動距離、15.7Km,登り下りの合計、+655m、−640m。

峠からの最初の下りは何処も厳しい。歩き出してから11キロ余り、4時間が経過している。この後、どこまで下れるか?出来るだけ距離を伸ばし、低い位置でCampしたいものだ。降りていくとMeadowと湖沼群の中を歩く。右手には険しい尾根が続く。この岩場にはLonghorn sheepの生息地と聞くが、姿は見ることは出来なかった。野生の羊は足の生えた岩とも呼ばれ、岩場にジットしているので見つけにくいそうだ。19世紀には沢山いたが、放牧の家畜からの病気で激減したが、徐々に増えつつあるそうだ。

赤味を帯びた変成岩の山もある。毎日山を見ているが、決して飽きることは無い。どれ一つとして同じ山は無いからだ。歩く道も石や大きな岩がゴロゴロある歩きにくい所、延々と続く埃の立つ砂の道、それに渡河が頻繁にあり飽きることが無い。それに路傍に続く小さな花、これを見れば不思議と疲れを忘れるのだ。この区間は渡河が特に多いが、もぅ苦に成らなくなった。

2−3日前と比べらると、蚊の数もめっきり減ってきた。彼らはある時期大量に発生し、ある時急に居なくなるという。8月も半ばを過ぎ、季節の移ろいを敏感に感じるのであろう。JMTを歩く定番衣装は半そで半ズボンの様だ。それに偶には蚊よけの帽子を被っている人に出会う。暑いのでその様な恰好をしているのであろうが、蚊よけや日焼け止めを塗りたくるのは如何なものか? 僕は全行程ダブダブなズボンを履いて居たので下半身は殆ど刺されることは無かった。タイツの様に肌に密着するものは蚊に対しては何の防護にはならない。

Woods Creek川を右手に見ながら降りてきたが、この川に掛かるJMT唯一の吊り橋(1988年完成)を渡ると登りとなる。橋は一人ずつ渡る様注意が出ている。10m程下は激流が流れており見るのも恐ろしい。ここがこの水系でのJMTの最低地点、2588m、であるが、更に距離を伸ばす為に歩き続ける。これから先は余りCamp地は少ないが、まだ陽は十分高いので何とな成るだろうと登り続ける。30分程すると、下がって来るRangerに出会う。Camp場はと聞くと10分ほど歩くと渡河があり、その先すぐ左の叢の中を探せという。登り続けつる。程なく馬に乗った3人連れに出会う。初めて馬方以外の人が馬に乗って居るのに出会った。一人は馬方、後の男女は観光客であろう。こういう歩き方のあるのだ。

教えられたCamp地は容易に分かった。余り使われていないが、2−3のテントなら何とか張れる場所であった。焚火は禁止区域であるが、焚いた跡があり、薪も豊富なので火を焚いて夕食とする。丸太に腰を下ろして5分も座っていると腰に鈍痛を覚える。この程度で最後までもてば良いと願望すると、同時に良くここまでこの程度の障害しか出なかった事に感謝する。ザックの負荷による背中や肩の障害、足の肉刺等が出る物と予想して居が、これらが出ていないのが幸いだ。

Camp地は川から可なり離れているが、それでも流れの音が聞こえてくる。ここまで殆どのCamp地は川から50メートル程の所にあり、これら近くからの流れの音と、遠くからの滝の音が聞こえていた。ここも熊の多い所であるが、これらを聞きながら眠りに陥る。Wood Creek Crossing,,2588m,累積距離:266.6Km(実際のCamp地はこれより若干標高が高く、累積距離も多いが、確かな数値は分からないので、この数値とする)

8月19日:今日も快晴だ。前方に輝く山を目指して登り始める。次の峠までは12キロ強、その間に高度は1000m以上上がる。Woods川の支流を左手に見ながら2時間程歩く。見えている山は典型的な花崗岩の山で、ドーム状の物もある。樹木の背丈が低くなると、湖沼地帯である。先ず最初は左手にDollar湖である。何故こんな所にお金に因む湖があるのかは分からない。金など有ってもここでは使う場所は無い。

2−3の無名湖をを過ぎるとDollar湖よりやや大きな湖が右手にある。Arrowhead()湖(3137m)である。之は形状からの命名で、南の方が尖っている。更に小さな無名湖を過ぎ、1キロほど歩くと、南北に1キロ以上あり、途中の括れ部は水路で繋がっているRae Lakes(3212m)がある。ここからの眺めは絶景だ。西側に見えるドーム状の山、湖の色,どれも素晴らしい。更にその上に大きな湖があるが、地図には名前が載って居なく、湖面標高[3213m]のみが載って居る。これらの湖は何れも川で繋がっている。この辺りにもオオツノヒツジが居ると言うが見ることはできなかった。

最後の湖を左手に見る頃登りがきつく成る。左手には黒、橙、白と多色の色をした山も見える。Paint―ed Lady(3694m)の名が付いて居る。道の左の方には更に高い湖沼地帯がありSixty Lakesと呼ばれている。渡河を2−3回し、九十九折れを30分ほど登ると、やや傾斜が緩くなる。小さな名無し湖が右左に見える所を暫く歩く。湖に部分的に氷が張っており、その上に雪が見える。氷や雪の状態を見れば、今ある氷は年中溶ける事のない氷であろう。白い雪、薄青の氷、深い青色の水、其れに映る雪を纏う岩石の山は正に自然の芸術だ。これらの湖群を過ぎると登りは一層険しくなる。ジグザグ瓦礫や雪の道を黙々と長いこと登って行く。やっと峠の頂上に着き、一休み。Glen峠、3639m。この水系の移動距離25.4q、登り下りの合計、+1127m、−1189m。


昼食の時間でもあり、やや長く休憩する。その間に他の人たちも登ってくる。僕らとは逆に南から北に向かって居る老夫婦も到着する。御夫人の方は荒い息をしており、軽い高山病の症状だという。ここより遥かに高い  Mt.WhitneyやForester峠ではこの様な事は無かったいう。多分この峠では最後の部分で急激に高度を上げた為では無いかと言い、暫く休んでいた。JMTを歩いている人の年齢幅は広い。2−3日前にあった13歳の少年も居れば、70代の人も居るのだ。歩きのスタイルも色々で、男女の連れ、家族や友人のグループもいる。単独行は男が圧倒的に多いが、女性も可なり居る。ある時それらの一人に聞いてみた。寂しくは無いかと。結構人にも会うし、そんな事はないとい� ��。余程山が好きなのであろう。熊の多い山中でも物とはしない様だ。地図によっては熊の多い所はその表記がある。昨日渡った吊り橋からこちらは多いと出ていた。

行く先下方を見れば、雪や緑に囲まれた湖が見える。雪と緑、夏と冬が混在する不思議な光景だ。降りていくジグザグ道は歩き難い。谷川の斜面は急峻で谷川に転べば、命は期待できない。30分ほどは特に注意して居りていく。山の歩きは緩急があり、それに従って神経を使い身体を動かして行かなければならない。

傾斜が緩やかになり、30分ほど歩くと右手に湖が見えてくる。Charlotte湖である。更に1時間ほど下って行くと、傾斜が大きくなり、ジグザグを繰り返しながら降りていく。ガレ場が多く歩き難い。途中何回も川越をするが、難なく渡れた。Bubbs川を渡る地点がこの水系でのJMTの最低地点であり、そこからは又登りとなる。Vidette Meadowに入り、草と木立の中を快調に登って行く。JMTはBubbs川に沿い、その西側を登って行く。雪崩の跡が彼方此方見られ、なぎ倒された木がそのままになっている。   Bubbs川は可なり大きな流れで、激流や滝も見られる。流れ込む支流の川越を繰り返し、Center   Basin Creekの分岐地点でCamp� ��する。標高:3213m、累積距離:303.5Km。

疲れ以外は何処も異常なく、ほぼ順調に遅歩き遅れは完全に回復した。明日の午前中には最後の峠を超え、登頂の日にちは22日頃と予定が立つ様になった。

8月20日:最後の峠に向けて登り出す。この峠を越えれば踏破に大手を掛けた状態になる。愈々念願成就の可能性が現実化してきた。峠までは7キロ余り、その間に標高は700m以上高くなる。富士山を遥かに超える高さで、JMTの中ではここが一番高い分水嶺である。Meadow部を緩やかに登って行く。右手はBubbs川でこの辺りの沢は典型的な氷河が残した産物で、立派はU字型をしている、ほぼ真南に2キロ程登り東に向かう頃から傾斜が大きくなり、木立の中を大きく周り再び南に向かって登って行くと、幾つかの湖がある。地図にはどれも名前は付いて居ないが、水面の高度が記載されている物はある。樹林帯も終わりに成る頃、大きな鹿が前方を横切る。大きな角を持った雄の鹿だ。体長� ��5cm程のChipmunk(シマリス)が倒木の上を走り、道を横切ったりする。リスでは無く、ウサギの仲間で、冬は夏に用意した干し草を食い、岩の中で冬眠せずに生きているという。ほぼ同じ大きさのPikaも良く見るようになる。耳は丸いが、これもウサギの仲間で、ナキウサギと日本語では呼んでいるようだ。ここまでに渡河が数回ある。

標高3500m過ぎると矮小した松も見られなくなり、岩石と雪の世界に成る。湖面標高3734mの湖が見えると、登りは益々きつく成り、最後は細かいジグザグを繰り返しながら、大きな岩石の道を登って行く。雪がある所は跡を辿って登るが、雪の消える所で本来の道を探すのは中々大変で、雪の境目の大きな岩石地帯は特に注意をしながら前進する。雪を踏み崩し、大きな岩の間に落ちたら大怪我は必至だ。ここまで来ても、岩の間に花が咲いている。やっと峠の頂上に辿り着いた時の喜びは特に大きい。JMTの最後の分水嶺で、Kings  CanyonとSequoia国立公園の境でもある。後は下って、また登り、最終の最高点Mt.Whitneyの登頂のみとなる。Forester峠、3883m。この水系での移動距離18.9Km,登り下りの合計+1128m、−792m。

行く方を見ると、大きな自然が広がっている。視界の外れまでも自分の足で歩いて行くのだ。峠からの下りは険しい。岩盤を削り、人の歩ける道にした先人達に感謝しながら、急な斜面をジグザグしながら居りていく。それにしても斜面の傾斜はきつい。絶壁である。そこを開削して九十九折れの道を作ったのだ。1時間ほど気を抜かずに安全第一で下りて行く。Tyndall川を渡り,上から見えて居た湖の横に出る頃には傾斜は可なり緩やかになっていた。この辺りで最初にMt.Whitneyが見えてくると言うが、前方のどの峰が其れなのかは確認出来ないまま歩を進めた。樹林帯に入り暫く降りて行くと、又登りとなる。直ぐに広大な景色が広がる。Bighorn Plateauである。高度35� ��0m近くにある高原で、兎に角広い。湿地や池もあり水鳥もおおく見られた。その中の砂地を歩き、又下り出す。何回か渡河をし、最後にWright川を渡った所で野営することにした。Mt.Whitneyの山頂までは20キロの位置である。ここで登頂は22日と最終的に決める。明日は出来るだけ、山頂に近い所でCampし、明後日登頂する。登頂したら必ず、Campできる所まで下がる必要があるからだ。Wright Creek渡河地点、3261m、累積距離:314Km

8月21日:山頂に一番近いCamp地はGuitar湖だ。其れより上は水が無いからだ。そこまでは12キロ程度で、半日の行程に過ぎない。早く着いて、昼寝でもすればいい。

今までよりは全体に高い所を歩いているが、この間の景色は今までと比べると単調である。上り下りはあるが、起伏は小さい。全体的には登って行くが、標高差は300m程度だ。ピインク色の岩石や緑の混じった物を見るようになる。カリウム長石を多く含むからだという。又緑は緑簾石だという。途中のCrabtree     Meadowでは表示版の傍に箱がある。これよりWhitneyを目指す人はここから糞袋を持っていく。ここから先は排出物を地中に埋めることは許されないのだ。標高の高い上流で汚染が起こればその影響が大きいからだ。Campについて中身を調べてみると、以前Mt.Rainierに上った時に使った物と余り変わらない物であった。大きなプラスチックの袋を広げ� ��用をすれば、まず間違い無くその中に落ちる大きさがある。中には消臭剤が凝固剤が入っている。これの入り口を閉じ、更にジップロックの袋に入れて麓まで持っていき、そこで処分するのである。この一式の中には殺菌用のナプキンと紙も付いており、十分な配慮がなされている。

渡河も2−3回あったが皆濡れずに渡ることが出来た。Timberline湖を右手に登って行くと30分ほどでCamp地のGuitar湖に着く。ここまでくれば樹木は無い。花崗岩の大きなが岩がある所で、石の上か、砂地を探して、テントを張ることが出来る。幸い我々は最初に到着したの気に入った所を選ぶことが出来た。やや風の強い所で、ガスバーナーを使う時に風よけになる大きな石があるので大分助かった。テントも飛ばされそうなったので、石で固定した。後は小川で洗濯をし、石の上に広げておいた。寝袋も同じ様に石の上で乾かした。どちらも小石を乗せ,飛ばされない様にしておいた。陽が指しておりテントの中は暑い。裸でマットに横に成り、ウトウト。

釣り師の薄葉さんはGuitar湖の全周を周り釣りをしたが、釣果はゼロであった。引きは有るのだが、逃げられてしまうという。間に合わせの竿でしなりが十分ではないのだいう。

テントの周りにはナキウサギが良く来る。食べ物を狙っているのだ。段々に仲間が増え、20人程がここに泊まる様だ。明日は何時に出るのかと聞くと、多くの人が4時から4時半には出るという。山頂までは8キロ弱であるが、標高差は900mで、高地の酸素の薄さを考慮すると、5−6時間は見ておく必要がある。遅くとも3時には起きなければならない。

夕食を済ませ暗くなる前に寝る事にする。寒さを考慮してあるもの全部重ね着して寝袋に入る。寝袋の足の部分は空に成っているザックの中に入れる。之でも可なりの保温効果があるのだ。枕は今まで寝袋の袋に余った着物と燃料のガスボンベ2つを入れて居たが、今日は枕の材料はガスボンベのみの状態だ。

Guitar湖、ギターの形をしている。確かな標高は分からないが、3500m弱か。累積距離も定かではないが、325Kmとした。正確な数値からはそう大きくは違わない筈だ。

8月22日:朝早く起き夜空を仰ぐ。非常に寒いが満天の星に暫し見入る。他の人たちも起きだし、準備をしている。暖かい物を食べた後,着ていたものを脱ぎ、登頂の出で立ちを整える。歩き出せば暖かく成る筈だが、富士山より更に高い所に行くことを考え、下は長タイツと長ズボン、上は長袖2枚の重ね着、更にその上にウィンドブレーカーを着こむ。それ程汗をかく事は無いと思い、水は1リットルを携行することにする。

予定通り4時半に歩き出す。前方には先を行く人のランプが幾つか見える。最初の内は緩やかな登りであるが、一時間もすると、大きな九十九折れとなり傾斜は厳しくなる。ガレ場で彼方此方に雪解け水が流れて居り、歩き難い。薄氷が張っているが、動いている水は凍らず山道を流れている。九十九折れで方向を変える毎に見えるものが変わる。

Hitchcock湖やその奥の同名の山、Muir山[4271m]などだ。どの山も風化が進み、急峻で険しい表情だ。2時間ほどかけMt.Whitney Trailの分岐に辿り着く。標高は4099mであるが、石の間に小さな花が咲いている。この分岐はここに近い入山口Mt.Whitney PortalとJMTの分岐である。

ここにザックを置き、登頂に必要な物だけを持て登ることする。既に10余りのザックが置いてある。ここから山頂までの往復は人が多い。まだ時間が早いのでそれ程でも無いが,麓の入山口からは日に最大150人が山頂を目指すという。

身が軽くなって山頂を目指すが、一向に歩く速度は上がらない。高地のなので、平地の様に早くは動けないのだ。大きな石の転がる中、一歩一歩登って行く。山頂までは3キロ余り、標高差は300m余りだ。

崩れ落ちた岩だらけの山肌を登っていく。途中には痩せ尾根が2−3か所あり、両側の谷が見える。絶景だが、足の竦む所だ。急峻な岩を開削して道とした所もあり、先人の労が忍ばれる。雪渓も渡り山頂に近づくと、意外と平らになる。転がっている岩石は平らなものが多く、砂で削られた様な凹みや固い所が長方形で残り浮き上がった物が多い。元は均質な砂岩では無く、その前に出来た礫を抱き込んで出来たのであろ。小屋が見えてから暫く歩き、山頂に到達した。2−30人の人がおり、写真等を取っていた。標高4421m、ここがアメリカ本土の最高点である。Happy Islesから335km、ここがJMTの南の起点である。之でJMTを完全踏破したことに成る。山頂には幾つかの測定基準� ��が岩石の中に埋め込まれていた。

山頂からの眺めは素晴らしい。麓の町Lone Pineも見える。360度の山や渓谷の全部が見えるのだ。間も無く、軽飛行機が上空を2周して去って行った。観光遊覧飛行であろうか?風も無く、空は青く、爽快である。

昼時に近くなっており、ナッツを齧っていると年配の男が手を差し伸べ話しかけて来た。Yosemiteを略同じ日に出発し、何回か出会ったという。こちらは全く記憶に無い。歩いているのは殆ど西洋人、それに昼間はサングラス等をしている彼らの顔を覚えることは略不可能だ。あちらに取っては日本から2人組で其の内一人は髭面であれば意図せずして記憶に残っているのだ。話しをしているうちにこちらも会った事を思い出した。名前の他に日本の何処からかと訊かれたことを奇異に感じたからだ。一見の人であれば名前と国籍だけで十分では無いかと思ったのだ。こちらは名前も当然覚えて居ないので改めて尋ねる。Johnと言い、同道女性は家内のChristieだと言った。60前後の夫婦の様� ��。

頂上で又会えたのは嬉しい。Lone Pineまで自分の車で行かないという。僕らは山を下りて何処かでCampし、2−3日あとにLone Pineに行くことを考えて居たので、相棒と相談する。良いんじゃないのと言うので、お願いすることにする。

彼らはオレゴン州から車で遣って来て、Mt.Whitney Portalの駐車場に車を置き、その後レンタカーでヨセミテに行き、そこから山歩きを開始したのだ。入山や下山口からの移動の方法はこう言うやり方もあるのだ。

元々Mt.Whiteny PortalからLone Pineへの移動はヒッチハイクを考えて居たので、渡りに船ともいえる。最悪の場合は町までの21キロは下りの舗装道路を歩くことも考えてた。但し日中ここを歩くのは可なり厳しい。気温が40度にもなるからだ。

話しが纏まり、めいめい勝手に降りだす。早く着いた方が、PortalのCafeで待つ事に成っている。1781,1783,19843,1787,1789,1790,17951798.1821,1839

残して行ったザックを背負いPortalに向かう。3キロ半ほどガレ場を歩き、Trail Crestに着く。山頂からPortalまでの16.6kmは御負けである。Trail Crest、4161m、この水系での移動距離、37.1Km,登り下りの合計、+1783m、−1615m。

ここも分水嶺で、山道は新たな水系を降りていく。ここからは下る一方だ。最初の下りは険しい。旅の最後であり、ここ迄来て怪我をしては居られない。細心の注意をしながらガレ場の九十九折れを居りていく。1時間も降りると、危険な所はなくなる。氷河が残した氷堆石がうず高く成っているのが左右に見られる。更に下ると雪渓がある。そこを渡って行くと、雪解け水の流れが現れる。最後のお水取りをする。

湖も川も毎日見てきたが、後数時間でこれらも見られなくなるのるのだ。早く里に下りたい気持ちと、もう少し山に居たいという気持ちが交錯する。2時間ほど降りていくと最初のCamp地のテントが見えて来る。登ってくる人にも出会うようになる。いよいよ今日は人里にかえる。其れも2−3時間の間に。入山前の事務所の入り口での野宿も含め18泊17日の山暮らしも終わりだ。この間にCamp地に熊の現れた形跡はなく、熊缶は何時も前夜置いたままに成って居た。実際に熊がCamp地に現れるのはそう多くないのかもしれない。

Camp地を過ぎ、更にLone Pine川に沿って下る。樹木がだんだんと高くなる頃、沢の幅が狭くなってくる。Camp地を過ぎ1時間ほど下ると、舗装道路が光って見えて来る。Portalは近いのだ。更に降りて行くと赤いスグリが沢山成っている斜面があった。何日か前にこんなのが有ったら良かったのにと思いながら、少し食う。甘くて美味しいが、今は道草を食っている時間は無いので、又歩き出す。木立の中をジグザグ下りPortalに着く。3時ごろであった。

Whitney Portal,2539m、この水系での移動距離13.1Km,登り下りの合計、+12m、−1631m。

 Yosemite VillageのCamp地から入山口迄の距離や3回の迷道の距離を加えると、優に380Kmは超えるであろう。これを17日で歩いたことに成る。

瓶入りのオレンジジュースを買い、2人で飲む。8月5日以来、久振りの人里の味である。こんなに長く金を一銭も使わず居たのは成人に成ってから初めてだ。汚物を用意されている専用のゴミ箱に入れ、直ぐに車に乗り町に降りる。Johnの車は我々の様な薄汚い輩が乗るのは適さない、立派なものだ。大きな九十九折れ道を降りていく。周りは大きな岩石だらけの不毛の土地であろう。乾燥地帯で木は生えて居ない。緑が無いので外は可なり暑そうだ。

直ぐに町に着き、同じホテルに泊まる。夜はこちらで招待し、一緒に食べる事にし、6時にロビーで会うことにする。古く安いホテルで、部屋にはトイレシャワーはない。取敢えずシャワーを浴び、2週間以上の垢を落とす。こんなに長く風呂もシャワーも使わなかったのも新記録だ。

娑婆の人間に帰り、John達と100m程北にあるMexicoレストランに行く。チャンとした料理を食うのも久振りだ。思い思いの品を頼み、好きな飲み物を飲む。山頂で一緒に成った若い日本人も同席して、先ず乾杯。山の話が暫し続く。皆も疲れて居るので、早めに引き上げ寝る。久し振りに普通の寝方が出来有難い。我々が普通に出来ていることは全て有難い事なのだ。

帰国の途

Los Angelesへはバスと電車を乗り継いで行かねば成らず、バスは週三便しかなく、明日は無い日だ。

翌日は終日Lone Pineの町で過ごす。小さな町で何も遣ることは無い。郵便局に行き、荷物が如何なって居るのかを尋ねる。直ぐに所在は分かり、一つ北の町Bishopの郵便局にあるという。終わってしまった事でごちゃごちゃ言っても取り返しはつかないので、明日の朝9時にここの郵便局で受け取れる様要求する。町には小さな群立図書館があり、誰でも使えるPC2台ある。此処から家内宛のメールを出し、無事山を降りたことを伝え、薄葉さんの家に電話し、その旨伝える様依頼する。又、予定より早くSanta Monicaに着くので、其の為の予約を入れるが満室との返事が返ってきた。原発や国内政治の混乱等改善せずに推移していることも確認出来た。ホテルのテレビには日本の� ��ュースは先ず乗らない。Internetを見ればある程度の事は把握できる。

里の生活はヤッパリ良い。僅かな金があれば、普通の物が食えるのだ。長い事食って居ない果物を買って食べる。陽をふんだんに浴びて熟れたここの果物は何でも旨い。久しぶりに葡萄酒も沢山飲んだ。

24日小型のバスでロスに向かう。バスは略満員で皆 山から下りてきた連中だ。予約は前もってして居るので問題は無かった、利用出来なかった食料はバケツに入れたまま持っている。捨てる気持ちになれないのだ。ヘルペスの薬は早速飲む。症状は此れで治まる。バスは南に向かって走り、モハベ砂漠を通る。使用済みの飛行機を解体している所もあった。広大な土地のない所では出来ない仕事だ。

Lancasterの町で近郊電車にのり、Los Angeles Union Stationに4時前に着きホテルを探すが適当な所は無いので、Santa Monicaに向かう。此処の土地勘の無い所なので、先ず空港に出る。バス代は7ドル。其処からSanta Monicaに向かった。後で分かった事だが、    Union Station-Santa Monicaは直通もバスがあり、安くて早いのだ。Santa   Monicaでホテルを探すが、皆高い。一晩400−500ドルする。海岸のリゾート地で8月終わりでも未だシーズン中で高いのだ。海岸から空港よりに戻り探したが、其処でも200ドル程であった。2日程此処で休養する。予定より早く山を出たので余計な出費が発生するが致し方無い。町の中では野宿は許されていない。只食い物は余って居るので何とか減らしたい。燃料も有るので、ホテルの部屋でお湯を沸かしインスタント物を鋭意消化に努めた。

今回の計画は色々欠陥があった。モット緻密に計画を進めて居たら,更に良い山行が出来た筈だ。

大きな失敗は、航空運賃が高い時期なので、先ずこれを抑える事を先行させたことであった。出発帰国日をそれそれを8月3日と29日と先に決めてしまったのである。その後詳細を詰めて行くと、帰りのバスは週に3便しか無く、麓の町には25日中には着いて居なければ成らない事に成る。計画をする場合、旅の総期間だけでなく、始めと終わりの曜日は考慮すべき重要条件なのである。今回幸いな事に入山はギリギリで予定通り出来たが、週末であったので、何か躓けば2−3日遅れる可能性があった。現地で手続きが必要な旅は週の中にはそこに着いて居ることが必要で、帰りの空港までの交通の便も事前に確認しておく必要がある。

週末にあたる27−28日は予約しいたYouth Hostelに泊まる。海に近く何かと便利なHos―telだ。Hostelについて先ずやったことは、持って行った衣類全てを洗うことであった。大きな洗濯機があり、2人分が楽に入る。乾燥器もあり2時間ほどで乾燥まで出来る。その間バスタオルを巻いて部屋で待っていた。何しろ全部洗濯機に入れてしまったからだ。

観光地Santa Monicaの広大な砂浜を丸2日ユックリ歩き、疲れも多少取れたような気に成る。土曜の夜はDevyと夕食を共にし、最後の晩餐はお世話に成った薄葉さんを招待して、町の真ん中の     Shopping Mallにある居酒屋に行った。名前は忘れたが日本語の書いた提灯等が沢山表に飾ってあり、表で飲んだ。中に入ると、中も非常に広く、日本の銘柄酒は驚く程取り揃えてあった。値段もしっかりしたもので、4合瓶で7000円程した。この他赤ワインを一本開けてHostelに返った。この程度では未だ足りないない程のお世話に成ったのだ。僕は幸せ者だ。多くの優れた友達を持ち、必要な手助けは必ず得られるのだ。今回も最も適した同行者が簡単に見つかった。� ��に何故簡単に同行を決めたのかを聞くと、退職後日本一周の走り旅を終え、当面次の大きな計画が無かったので、乗る事にしたのだいう。之も一つの運であろう。

僕は旅は体力だと思っているが、TravelはTroubleだと言う人もいる。今回も確かにTroubleはあった。最初に山火事があり列車が遅れ計画が最初からおかしく成るとこであったが、これは金で何とか解決できた。2つ目は丸1日以上道に迷った事である。これは其の後時間を掛けて、遅れを取り戻せた。3つ目は折角用意して送った食料品が中継点で得られなかった事だ。之は代替品で何とか山行が続けられた。計画通りにスンナリ行く旅は僕の場合余りない。何か計画を狂わす外乱が入るのだ。外乱を取り除き、如何に帳尻を合わせて行くかも旅の楽しみかも知れないと思っている。

色々あったが無事帰国出来たので本計画は辛うじて可であろう。

上記は踏破後3か月余り立ってから、計画書、地図、案内書、薄葉さんの取った1200枚余りを見ながら記憶を甦らせて綴ったものである。毎日見る物は新鮮で皆綺麗に見見えた。倒木した木の根、火事等で樹皮を失い丸裸で岩肌に立つ木々、全て自然にあるものは美しい芸術品だ。花や動物等の関してもモット書きたいことは沢山あるが、主として隆起花崗岩帯の氷河の形成した山、川、湖に関して記した。

 


旅の総費用は,航空運賃、145000円、現地ホテル代、交通費、食事代合わせても20万円には成らない。十分自然を堪能出来たので、高い物とは思えない。最高の観光は自分の脚ですべきだ。今回我々が歩いた所は3つの国立公園、2つの自然保護区の中の一本の線に過ぎない。これらの地域は南北に300Km,東西50Km以上に渡る広範な地域であり、JMTから逸れた景勝の地は沢山ある。出来る事ならこれらの山や湖にも行きたいものだ。その際大事なことは食料の補給をどうするかだ。



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